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2017. 06. 10  
土曜日はカルヴァンの祈りを紹介しています。25回目です。

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全能の神さま、あなたがいにしえのあなたの民にたいして、あのような恐ろしい御怒りの証拠をお現しになられました。

どうか、今日私たちに、そのような先人たちの苦しみから、知恵を学ぶことを得させてください。

あなたが私たちを、ご愛顧のうちに受け入れてくださいますように。

私たち自身を従順に、あなたに従わせることを得させてください。

また私たちにあなたの慈しみ深い御顔をむけてください。

そうして私たちが、あなたがあなたの御独り子によって、私たちのために備えてくださいました永遠の幸福を享受いたしますまで、あなたの御赦しによって、死から生命に回復せられることを得させてください。

アーメン。
2017. 06. 09  
創世記を再開しましょう。12章1-4節のアブラムの召命(コーリング)の場面でした。

神様から離れて行った人間世界で、ただ一人アブラムが、不思議な選びによって神様から召し出されました。

このアブラムから、「神の民」イスラエルが始まります。

信仰を与えられ、キリスト者として生きる人は、この「神の民」の一員です。


アブラムの召命は、そういう私たちの信仰のルーツです。ここに、私たちの始まりもあります。

そして、その時、主なる神様はアブラムに、「祝福の源となるように」とおっしゃいました。

「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」


「祝福の源になる」。勝田台教会の方は、牧師がいつもこのことを繰り返し申し上げていることを、覚えてくださっているでしょうか。

神様は、アブラムとその霊的子孫である私たちの「名を高め」、繁栄させてくださいます。

でもそれは、自分たちのためだけの繁栄ではありません。

私たちを通して、この世界が神様を知ることによって、祝福が広がっていくことが、神様のねらいです。

私たち「神の民」は、神と共に生きる人間がもっている、豊かさ・喜び・希望・慰め・祝福のサンプルのようなものです。

神様は、私たちを「祝福の源」として用いてくださって、私たちの家族や親しい友人を祝福へと招いてくださいます。

共に祈りましょう。



主よ、今日も祝福を限りなくお与えください。そして、私の周りの愛する人たちを、あなたの祝福にお招きください。7月16日にはウェルカムチャーチデーも予定されています。私たちを祝福の源として用いて下さい。

2017. 06. 08  
7月16日はウェルカムチャーチデーです。新しい方が招かれますように、家族や親しい方々のためにもお祈りください。

その案内チラシを考えていました。今年は、ど真ん中の直球で、「あなたは高価で尊い」をテーマにします。

イザヤ43:4「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。」

以下、チラシに掲載する文面です。
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「自分など、いなくてもいい。いる必要がない。いないほうがいい」などと、決して思わないでください。

そのように思わずにはいられなくなってしまった、あなたの痛みを思います。

私にも、そのように思う時がありました。今でも時々あります。

でも、もう自分を見下さないでいたいと、今は願うのです。自分を見下すことは、神様を見下すことになるからです。

神様はこの私のことを、「高価で尊い」と言ってくださいます。

この私の救いのために、尊いキリストの命がささげられたのだと教えられています。

ぜひ考えてみてください。

人間の値打ちは、あなたの値打ちは、一体だれが決めるのでしょう・・・。



共に祈りましょう。

主よ、疲弊した時代にあって、たくさんの人々が疲れ切っています。お金をたくさん持っている者も、持っていない者も、それぞれに人生の空しさを覚えています。私たちが、本当にあなたを「知る」ことによって、自分を大切にし、互いに尊敬をもって、生きることを励まし合うことができますように。
2017. 06. 07  
創世記を読み進めていきましょう。12章からいよいよ、信仰の父アブラハム(まだ今は、アブラム)の登場です。

バベルの塔の後、世界中に散らばるようにして神様から離れて行った人間世界で、ただ一人アブラムが、不思議な選びによって神様から召し出されました。

その神様からの最初の召命(=コーリング)が、12章1-4節に書かれています。

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。

わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。

あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。

地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。』

アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。」



アブラハムは「信仰の父」と呼ばれるように、信仰者としてのわたしたちの祖先、霊的ルーツです。

彼と同じように、わたしたちは誰も、「生まれ故郷、父の家」を離れて、神と共に生きる新しい人生に旅立ちます。

信仰の歩みは、長い旅路です。

でもそれはあてのない放浪ではなく、約束の場所、真の故郷である天の御国に向かって進む旅路です。

また明日、続きを分かち合います。


共に祈りましょう。

主よ、信仰者に限らず、誰の人生も旅のようであるかもしれません。それは孤独な旅かもしれません。でも、死の陰の谷を行く時も、あなたが共にいてくださると、私は信じています。あなたと共に歩む旅路の幸いを感謝します。主よ、今日も私の歩みに、たくさんの祝福を満たしてください。
2017. 06. 06  
Ⅰコリント6:19-20の御言葉です。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

ペンテコステ(聖霊降臨記念日)から始まるこの一週間は、「聖霊がわたしたちの内に生きていてくださる」との確信に深まっていきましょう。

どんな時でも、思い出したいのです。聖霊がこのわたしの内に生きていてくださる。

聖霊は、この汚い私の心に生きていてくださる。散らかり放題の私の心に住んでいてくださる。

今、出勤中の電車の中で、あるいは朝ごはんを食べながら、あるいは眠い目をこすりながら・・どうぞ姿勢を正して、静まって、確認させていただいてください。

今日、イライラする時があるでしょう。がっかりしてしまう時があるでしょう。急な事件や事故に巻き込まれることもある。

どうしたらいいだろうかと不安が強くなったり、急に生きることが空しくなってしまったり・・いろんなことがあるかもしれない。

どんな時も、静まって、内なる聖霊に向かいたいと思うのです。

神様から逃げたい時もあるでしょう。でも、逃げるクセをつけてしまってはいけない。

それに、聖霊は逃がしてはくれません。どんなにわたしたちが心を散らかし汚そうとも、私はここに住むと、もうゆずられないのです。

ですから、どんな時も思い出して過ごしましょう。わたしの内に聖霊が宿ってくださっている。

聖霊が、いつも必要な信仰を与えてくださいます。慰めを、励ましを、あるいは悔い改めを、また勇気を・・必要なことはすべて備えてくださいます。


共に祈りましょう。

内なる聖霊よ、どうか我が体と魂を、聖なるあなたの住み家として、ふさわしくきよめ、整え、作り変えてください。主よ、今日もあなたが、私のあまりに人間臭い日常生活を、共に生きていてくださることを感謝します。
2017. 06. 03  
土曜日はカルヴァンの祈りを紹介しています。24回目です。

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全能の神よ、私たちはバビロンの流寓から贖い出されたばかりでなく、地獄そのものから脱出せしめられました。

それはあなたが、私たちが怒りの子らであった時に、あなたの御子によって、価なしに私たちを子としてくださったからです。

私たちがねじれるものであった時に、あなたの無限の仁慈によって、あなたの御国の門をお開きくださったからでございます。

願わくは、私たちをしてあなたの御前に、慎み深く歩むことを得させてください。

自らをまったくあなたに、またあなたのキリストにしたがわせ、見せかけではなく、自分が真にキリストの体であることを証拠だてることができるようにしてください。

あなたがわたくしたちの主キリストによって、日々に私たちを招き給うあなたの天の御国に、終わりの時に、私たちをことごとくお集めくださるように、まったくキリストの御霊に支配されることを得させてください。

アーメン。
2017. 06. 02  
「セムの系図は次のとおりである。・・・・・・テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。(創世記11:26)」

創世記11:10からは、セムの系図が記されています。

ノアの三人の息子の子孫が世界に広がっていく中で、このセムの系図からやがて信仰の父アブラハムが誕生し、イスラエル民族の祖となります。

その意味で、これは神に選ばれた民族の系譜です。

しかし、何か特別なエリートの民族であると誇ることはゆるされないのです。ただ神の恵みによって選ばれたに過ぎません。

忘れてはならないのは、このセム族の人々もバベルの塔の建設に加わっていたことです。

バベルの塔における「おごり高ぶり」は、全人類が犯した過ちであり、これからも犯し続ける過ちです。セム族も、その罪人の一員です。散らされた者たちの一人なのです。

そして、ヨシュア24:2には、「アブラハムもテラも偶像の神々を拝んでいた」とまで書いてあります。

最初から、主なる神に忠実にしたがうエリートであったわけではないのです。

ただ神の自由な恵みによって、神から離れ去るようにしてバラバラになっていた人間の中から、ただセムの系譜を、神の方で追いかけ続けてくださって、アブラハムを選んでくださったのです。

それが、我が先祖の歴史の始まりです。

私たちはだれもがそのようにして、ただ神の恵みによって選んでいただいて、信仰の道に招かれるのです。


共に祈りましょう。

主よ、この日本という、偶像の神々を拝んでいる国にあって、あなたを知り、あなたと共に歩む者とされたこと。この恵みの意味を、深く思い知らせてください。私たちの一日が、感謝と賛美に満たされますように。
2017. 06. 01  
リジョイスの執筆を兼ねて、創世記の1-11章を読んできました。これで終わってもいいのですが、せっかくなので創世記を読み続けていこうかと思います。

改めて振り返りますと、天地創造に始まってバベルの塔の至る1-11章は、「原初史」としばしば言われています。

旧約聖書というのは、何が書いてあるかといえば、「神の民」として特別に選ばれた、古代世界で極めて独特なイスラエルという民族の「歴史」が書かれているのですね。

少しふざけた表現かもしれませんが、壮大な大河ドラマが描かれていると思っていただくとイメージしやすいと思います。

そのドラマを通して、神がイスラエルに示してくださった大いなる御業の数々が描かれ、主なる神とはどのような方か、何をお語りになったのかが示されるのです。

そして、壮大なドラマの中心は、出エジプトの出来事にあります。

そのプロローグとして、これから読んでいく創世記12章からの、アブラハムに始まる族長時代の記録がある。これは民族のルーツを示してくれるのですね。

そして、さらにその前に、11章までの原初の歴史があったというわけです。

信仰の父アブラハムが登場するまでの、いわば歴史以前の太古の出来事を伝える悠久の物語。

それは、人間という存在が抱えている普遍的な問題がすべて現れ出てくるような、罪の物語であります。

しかしまた同時に、その人間に怒りながらもなお、やりなおしの機会を与えようとなさる、神の愛と赦しの物語でもありました。

この後も、基本的な物語の枠組みは同じです。人間の罪と、神の愛と赦しが積み重ねられていくのです。


「神よ、我らはこの耳で聞いています。先祖が我らに語り伝えたことを。先祖の時代、いにしえの日に、あなたが成し遂げられた御業を。(詩編44:2)」

聖書の神を信じるということは、イスラエルの歴史を、我が先祖の歴史として大事にするということでもあります。

私たちもまた、「神の民」となるべく、この時代にあって神から特別に選ばれた独特な者たちなのです。

そういうわけでしばらく、我らの先祖の歴史を振り返っていきましょう。


共に祈りましょう。

歴史を導かれる大いなる主よ。我らの先祖に示してくださった、あなたの忍耐と慈愛に感謝をいたします。そして大いなる奇跡の数々に驚きます。その歴史に連なる我らを見捨てず、今日もあふれる恵みをもって導いていてください。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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