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2019. 03. 12  
おはようございます。今週は、今日から奥多摩で全国学生会修養会が行われ、私は留守をいたします。

芦田高之先生が「礼拝」をテーマに講演してくださいます。

また、4月のはじめには全国の中学生のキャンプSpringDaysが行われます。

その準備等もありますので、今日からしばらく配信をお休みさせていただきますので、ご容赦ください。

若い方々に福音の喜びがあり、学びと遊びと語り合いの時が豊かに祝福されますようにお祈りください。

東日本大震災の悲しみを改めて思い起こし、主の憐れみを求めて祈るこの一週間でもあります。

皆さまの、日々の黙想と祈りの時間に、恵みの導きがありますように。


共に祈りましょう。

主よ、先の主日に私たちは、あなたに手を触れていただいて、腰がまっすぐになりました(ルカ13:10-17)。主よ、今目を上げて、背筋をのばして、すがすがしい思いで、歩み出します。今日も共にいてくださり、すぐに曲がってしまいそうになるこの魂を、支え励まし続けてください。
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2019. 03. 08  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。4:16-17を読んでいます。

私たちは皆、ただ神からの恵みの約束を信じて生きている、その一点において、アブラハムに連なる「子孫」なのだと確認しました。

ちょうど次の主日に分かち合うルカ13:10-17のところに、「アブラハムの子」と出て来ます。

18年間苦しんだ病を癒された女性のことを指して、「この人は、アブラハムの娘なのだ」とイエス様は言われました。

すなわち、神様からの約束をいただいている者なのだ、ということです。

だから、その約束を果たすために私が来て、苦しみから解き放つのだ、というわけです。


ローマ書に戻りますと、4:17には、私たちの信じる神はどういう方かが示されていました。

「死んでいる者をも生かしてくださる方、まだ存在しないものを呼び出して、存在するものとなさる方である神」とありました。

アブラハムは、神を、このような方と信じました。私たちもそうでしょう。

ここには難しいことは何もありません。ただ、信じるか否かです。

何も無いところに、天地を創造なさった神。イエス・キリストをよみがえらせたもうた神。

この神が、「愛する子よ、お前を永遠に祝福する」と約束してくださったのです。

私たちもまた、「アブラハムの子」なのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの全能の御手にすべてをおゆだねいたします。今日、心に重荷を抱えている者、疲れや苦悩で腰が曲がってしまっている者、呼吸が浅くなってしまっている者・・・、すべて苦しみの中にあるアブラハムの子たちを、どうか約束にしたがって、憐れみ、助け、その口にあなたへの賛美を回復して下さい。


2019. 03. 07  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。昨日分かち合った16-17節には、アブラハムが「私たちすべての者の父である」とありました。

新約聖書におけるイエス様とユダヤ人たちのやりとりを見ていますと、「我々はアブラハムの子だ!!」と激高している場面がよくあります。

あるいは、あのザアカイの物語において、イエス様はザアカイのことを「この人もアブラハムの子なのだから」と言われました。

「アブラハムの子(子孫)」であるということが、ユダヤの人たちの大切なアイデンティティーであったことが分かります。

それはすなわち、神に選ばれ、神と共に生きてきた「神の民」であるということでした。

そういう「アブラハムの子」に、血統の上では何のつながりもない日本人である私たちも、連なることがゆるされています。

(※ もちろん、すべての人間はアダムにつながるという意味では、血もつながっているでしょうが・・・)

このつながりは、ただ信仰によって生かされているという、一点でのつながりです。

何の値打ちもないものが、神からの恵みの約束を、ただ信じさせていただいて、神の民としていただきます。

ただその一点において、血統も、民族も、国境も超えて、世界中の人たちが、「アブラハムの子」として神の約束にあずかるのです。


共に祈りましょう。


主よ、アブラハムの信仰に連なるすべての神の民に、今日も恵みと祝福がありますように。迫害に苦しむ中国やインドやイスラム圏の兄弟たちに、恵みと祝福がありますように。この日本という特殊な国で、アブラハムの子とされたユニークな人たちを、天からの光で照らしてください。

2019. 03. 06  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は4:16-17。長いですので、今日は私訳だけ。かなり自由に訳してます。

<私訳>「このようなわけで、すべては信仰によるのです。

それは恵みによるのであって、あの約束は、すべての子孫に対して保証されるのです。

ここでいう子孫とは、律法によって生きてきたユダヤ人だけでなく、アブラハムの信仰にならって生きる異邦人も含みます。すべての子孫に保証されるのです。

アブラハムは、私たちすべての者の父なのです。

「わたしはあなたを多くの国民の父と定めた」と書いてあるとおりです。

このことは、彼が信じた神の御前においてです。

すなわち、死んでいる者をも生かしてくださる方、まだ存在しないものを呼び出して、存在するものとなさる方である神の御前に、そうなのです。」


共に祈りましょう。

主よ、すべてはあなたのものです。あなたには不可能はありません。私たちの父祖アブラハムに与えてくださったように、私たちにも、信仰を与えてください。信仰において、疲れを覚える者を励まし、永遠の希望を見上げさせてください。そして、今日の旅路の足取りを軽くさせてください。

2019. 03. 05  
先の主日には、ルカ13:1-9を分かち合い、悔い改めの実をなかなか結ばない私たちのことをも、主は忍耐深く待っていてくださるということを教えていただきました。

実のならないイチジクの木のたとえ話が印象的です。

そのイチジクの木を植えた人が、おいしい実がなるのを楽しみにして、3年ものあいだ、念入りに観察して「探す」のですが、見つからないといわれます。

この「探す」、英語ではseeking fruit。

この聖句と、「説教の結ぶ実を、注意深く見守る」という長老の役目を結び付けて考えることを、石丸新先生に教えていただきました。

主日に語られた説教が、それを受け取った人々の人生においてどのように結実していくか。

神の御言葉をほんとうに受け取った者は、生き方が変わらずにはおれません。

思いと言葉と行いにおいて、それぞれに与えられるチェンジ。それこそ「説教の結ぶ実」。

その実を、「注意深く見守る」、英語ではbe careful in seeking the fruit of the preached Word。

主なる神は、今日も長老たちを用いながら、教会を見守り、今日こそは、今日こそは実っていないかと、探し求めておられるのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたに喜んでいただけるような実を結ばせてください。私たちの心の向きを変えてください。あなたのもとで、あなたの恵みと愛の力で、古いわたしを粉々に砕いてください。この心にある、やましさ、傲慢、疑い、不安・・すべてを砕いてくださって、まっさらに造りなおしてください。
2019. 03. 01  
今週の主日に与えられた御言葉を想い起して、金・土の週末に向かいましょう。

ルカ12:51のイエス様のお言葉です。「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない、言っておくが、むしろ分裂だ。」

穏やかではありません。人と人とのあいだの「分裂」をもたらし、そこにある平和を乱す。

これは、イエス様らしくないことです。イエス様は「平和」をもたらす救い主であったはずです。

ただしその平和は、聖霊の火が少しも燃えていないのに、まことの愛と信頼関係もないのに、ただ妥協となれ合いだけで成立しているような「冷たい平和」とは違います。

そういう偽りの平和の中で、真に愛し合う喜びも知らぬままに冷たく死んでいくのは、人間にとって幸せなことでしょうか。

そもそもが、自分が属する共同体(家族、会社、あるいは教会・・)の中で、本当に満ち足りた「平和」を実感できている人が、私たちの中にどれほどいるのでしょうか・・・。

イエス様は、まことの「平和」を創り出そうとしておられます。

しかしそのためには、イエスに従い、イエスと共に歩くことを決断する者たちが起こされることが不可欠です。

そういう者たちが立ち上がろうとする時、これまでの妥協や馴れ合いからの「分裂」は避けられません。

でも、その「分裂」を通ってこそ、本当の愛と信頼の関係が、その共同体にもたらされるのです。


主よ、あなたと共に立ち上がろうとする者たちを、今日も支え励ましてくださって、霊の火をその心に投じてください。愛を燃やしてください。義と真理を燃やしてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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