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2019. 07. 30  
今日から子どもたちのジュニアキャンプがあります。明日明後日は、配信をお休みいたします。

また、明日からはいよいよエレベーターの改修工事が始まります。無事完成し、体を弱めている方々が会堂に集うことができますように。

また、今週木曜日からは、宮城県山元町の「のぞみセンター」での奉仕に、当教会からも3人の方が遣わされます。

地域の方々とのバーベキューが主な行事です。被災された方々に「あなたたちのことを忘れていない」とのメッセージを届けてほしいと願っています。

それぞれ、お祈りに覚えてください。

さて、先の主日には「お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか」という、パウロの激しい叱責の声に耳を傾けました。

それは、セルギウス・パウルスの求道を邪魔する、魔術師エリマに対するものでありました。

礼拝後に、子どもたちと説教の恵みの分かち合いをしました。

すると、「主のまっすぐな道」ということが心にかかって、ずっとそのことを考えていたと教えてくれる子がいました。

自分は命の道を、まっすぐに歩いて行けるかな?

ラクダが針の孔を通るよりも難しいと言われているから、神の国に入ることはできないかな?入りたいな・・。

そんな素直な祈りを、分かち合うことができました。

私は牧師として申し上げました。大丈夫、人間にはできなくても、神様にはできる。

私たちは、まっすぐには歩けないね。フラフラと右往左往してしまう。それが、人間の弱さだね。

でもそういう罪人であっても、イエスを信じるならば、決して見捨てないで、絶対に手を離さないで、永遠の命に導いてくださると、神様は約束してくださいました。

神様は手を離されないから、絶対に大丈夫。安心していなさい。このことを、一生、どんなことがあっても忘れないでいてください。

神様は決して手を離さずにいてくださる。だから、私たちもその手をしっかり握り返す。

その時に、神と共に生きる喜びが分かってきます。信仰と希望と愛が、魂に満ちてきます。

私たちは、まっすぐに歩けない。でも、神様が、どんなにフラフラしても見捨てないで、ゴールに向かって整えていってくださいます。

だから私たちも、まっすぐに歩かせてくださいと祈ろう。

まっすぐに歩いて行こうと足を踏み出す時、神から与えられたあなたの尊厳が輝きだすのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの道を教えてください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。

御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。(詩編86:11)

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2019. 07. 27  
土曜日は、「来てください、沈むことのない光」という本より、初期教会のキリスト者たちの言葉を紹介しています。

先週に続いてリヨンのエイレナイオスの言葉を紹介します。150~200年頃まで活躍し、初期教会に影響力をもった偉大な教父です。

**************
はじめの時に人を形づくった神の御手が、わたしたちを母の胎内に形づくります。

そして同じこの御手が、終わりの時には、見失われていたわたしたちを捜し求めます。

この御手が、見失われた羊を見つけ出し、ご自分の肩に担ぎ、喜んで命の群れに連れ戻されるのです。
2019. 07. 26  
昨日の続きで、特に使徒言行録13:10「主のまっすぐな道をゆがめようとする」という言葉に深まっていきましょう。

「ゆがめる、曲げる」という言葉は、直前の8節の「(信仰から)遠ざけようとする」というのと同じ語です。

また使徒言行録20:30では、「邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者」がきっと登場してくるから気をつけなさいと言われています。

「ゆがんだ教えを語って、弟子たちを自分の方に引っ張り込もうとする者」という言葉です。

こういう言葉に触れて思い出していたのは、アメリカでたくさんの若い人を集める教会で語られる、地上の幸福のメッセージです。

神を信じれば、富や名声が与えられる。与えられないのは、あなたの信仰が足りないから・・・。

こういう教えのどこに魅力があるのか、正直言って私にはさっぱり分かりませんが、たくさんの人が来るようです。

でも、これは「ゆがんだ教え」です。聖書に示されるキリストの道は、そういうものではない。


「まっすぐな道」、これは面白いのですが、使徒言行録9:11では、「直線通り」というストリートの名称として出て来ます。

それは、ダマスコの街を東から西へと貫く道であり、あのサウロの家があったところです。

サウロはそこで、三日間の闇の中を祈って過ごし、やがて回心し、大伝道者パウロに生まれ変わります。

キリストのもとへとまっすぐに向かって行く道は、そのようにして、悔い改めの苦しみを通るものでもあるのでしょう。

それは、大いなる赦しの光のもとへと進んでいく、一筋の道です。

その道を進もうとしている魂を、決して邪魔してはいけません。とりわけ、自分の魂を、自分で邪魔しないように・・。


共に祈りましょう。

主よ、まっすぐな道を歩ませてください。右にも左にも逸れずイエス様につきしたがい、古い私に死んでいき、新しい私として生きることができますように。
2019. 07. 25  
次主日は、使徒言行録13:4-12を分かち合います。

ここには地方総督セルギウス・パウルスの回心という、大事な出来事が記録されています。

魔術師バルイエスという、いかにも怪しい人物も登場します。実際は、それほどいかがわしい存在ではないのですが・・。

彼は、キリストの道に対抗して、総督を「この信仰から遠ざけようとした」とあります(8節)。

このことに対して、パウロの怒りが炸裂します。そして10節の言葉となる。

「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。」

こんなに言葉を尽くして非難しているところも珍しいです。


原文だと「あらゆる偽りとあらゆる欺き」とあって、「あらゆる」が2回繰り返されてますから、よっぽどの強調です。

「満ちた」とあるのは、「いっぱいで、はち切れそう」という言葉。使徒言行録では、「聖霊に満たされ」という風に使われること多い。

でもここでは、「お前は、ありとあらゆる邪悪に満たされて、はち切れそうになっている」と・・・、えらい言われようです。

「悪魔の子、正義の敵」とありますが、「悪魔」という語は「誹謗・中傷する」という動詞に由来します。

ですから元来は、キリストの正しい道を中傷して、それを求めようとする純粋な熱心をくじく悪意のことを言うのです。

今日は時間が来てしまいましたので、また明日、「主のまっすぐな道をゆがめる」を分析してみましょう。


とにかく分かるのは、キリストの道を求める純粋な熱心を邪魔するものに対して、パウロははげしく怒っているということです。

そういう魔術師が、わたしたちの周りにもいるかもしれません。

いや、私たち自身が、私たちの純粋な熱心を邪魔する魔術師になってはいないでしょうか・・・。


共に祈りましょう。

主よ、私たちを信仰から遠ざけようとする敵が、いかに多いことでしょう。私の外からも、内からも、邪魔をする声が聞こえてきます。主よ、わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。
2019. 07. 24  
ここのところ、二人の小学6年生と、毎週それぞれに学び会を持っていますが、目覚ましい成長の姿に目を細めています。

彼らには、聖書を読むのですよ、そして、「信仰と希望と愛を私に与えてください」と毎日お祈りしなさいと、伝えています。

私自身も、教えた通りに生きたいと、同じようにしています。

ここのところ導かれているのは、「今日どんなことがあっても、信仰と希望と愛をもって、その課題に取り組むことができますように」という祈りです。

神様を遠くに感じてしまうような激しい荒波に襲われるかもしれません。

でも、どんなことがあっても、「固い決意をもって主から離れることのないように」とバルナバも教えていました(使徒言行録11:23)。

信仰をもって、主イエスにとどまりつづける。でも、それは自分の力では不可能です。

だから、祈るのです。私に信仰をください、と。

信仰が与えられれば、そこには必ず希望が生まれます。私たちの希望は、主イエスが生きておられることです。

主は決して悪いようにはなさいません。死の陰の谷を行く時も共にいてくださって、憩いの水のほとりへと、私たちを必ず導いてくださいます(詩編23篇)。

独り子イエスをくださったほどの神の愛を、私たちは疑う必要がないのです。それゆえに、希望を決して失いません。

そして、どんなときも愛をくださいと、祈りたいのです。

大災害、トラブル、大変な人との出会い・・・余裕を失ってしまうとき、相手に憎しみさえ感じる時、自分の生活を守らねばと必死になる時。

そんなときに、でもやっぱり主よ、私に愛をください。

今日どんなことがあっても、愛をもって、それに向き合うことができますようにと、祈りたいのです。

この心に愛が生まれている。このことこそ、私たちが「死から命へと移った」ことのしるしです(Ⅰヨハネ3:14)。


ですから、共に祈りましょう。

主よ、今日、あなたが私たちに与えてくださる一日に期待しつつ、不安も覚える弱い者です。耐えられないような試練にあわせないでください。どんなことがあっても、信仰と希望と愛をもって、立ち向かうことができますように。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(Ⅰコリント13:13)」
2019. 07. 23  
主日の午後から昨日まで、日曜学校のお泊り会が行われました。

みんなで会堂ではしゃいで寝泊まりし、エントランスで流しそうめんをしたり、大変楽しい二日間でした。

夜には礼拝と、それぞれの賜物を持ち寄った演奏会をして、神さまに音楽と賛美の歌声をささげました。

子どもたちと分かち合ったのは、Ⅰヨハネ3:1の御言葉です。

「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、よく考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」


罪の子であった私が「神の子」とされたということ、このことがどれほどありがたいことか。

アメリカで、虐待を受け孤児院に送られたひとりの少年が、あたたかなキリスト者の家庭に受け入れられ、「愛される」ことの喜びを知って再生していったという証しを、分ち合いました。

大変に傷つき、心を閉ざしていた少年でしたが、神の家族の祈りと愛が、闇に勝ったのです。

そんな物語は、きっと他にもたくさんあることでしょう。

イエス・キリストの贖いによって「神の子」とされた人々が、愛に満ちる神の家族のまじわりの中に、傷ついている人を招いていく。

「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、よく考えなさい」と、ある意味では、厳しく命じられています。

「よく考えなさい!!」どんな時も、このことを忘れることなく、一番大切なこととして覚えていなさい。

「神の子」としていただいたのだから・・・。神は、わたしたちの父でいてくださる。どんな時も、私は神に愛されている。

そのことのありがたさを、よく考えなさい。

よく考えるならば、私たちが今日なすべきことも、おのずと分かってくるのだと思います。


共に祈りましょう。

主よ、子どもたちを祝福して下さって、夏休みの間に豊かな成長が与えられますように。成熟し、年を重ねた者をも、あなたの子どもとしてのびやかにお育てくださり、信仰と希望と愛にいよいよ深まらせてください。

2019. 07. 20  
土曜日は、「来てください、沈むことのない光」という本より、初期教会のキリスト者たちの言葉を紹介しています。

今日はリヨンのエイレナイオスの言葉を紹介します。エイレナイオスは、契約神学の源流です。

彼は、先週紹介した殉教者ポリュカルポスの弟子でもあります。

**************
あたかも何らかの必要を感じているかのように、神がわたしたちに何かを要求なさることは決してありません。

そうではなく、むしろ神との交わり(コミュニオン)を必要としているのは、わたしたちの方なのです。

父である神は、わたしたちをその胸の中に抱き寄せるために、純粋な慈愛から、御自身を、惜しみなくお与えになります。
2019. 07. 19  
神戸改革派神学校校長の吉田隆先生による、ハイデルベルク信仰問答の解説「ただ一つの慰め」が出版されています。

7月22日(月)には、御茶ノ水クリスチャンセンターで、午後6時半から8時で、出版記念座談会も持たれます。

朝岡勝先生と山下正雄先生との三人ということで、とても興味深いです。

可能な方はぜひ参加なさるとよろしいと思います。断然おすすめいたします。


今日は、その本から、次の主日の予習をしておきたいと思います。

次主日は、使徒言行録11:19-26より、特に26節の「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」ということに注目したいと思います。

実はハイデルベルク信仰問答には、「なぜあなたは『キリスト』者と呼ばれるのですか」という問いがあります。32問です。

答えはこうです。

「なぜなら、わたしは信仰によってキリストの一部となり、その油注ぎにあずかっているからです。

それは、わたしもまた、この方の御名を告白し、生きた感謝のささげものとして自らをこの方に献げ、

この世においては自由な良心をもって罪や悪魔と戦い、

ついには全被造物をこの方と共に永遠に支配するためです。」


以下、吉田先生の解説の引用です。

「キリスト者の生涯は、依然、戦いの生涯です。クリスチャンになったからといって一切の悩みや苦労から解放されるわけでは必ずしもありません。

それにもかかわらず、それは深い喜びと平安に根ざした生涯なのです。

『信仰問答』はキリスト者の戦いを「自由な良心をもって」と言っています。自由な良心とは、キリストの福音によって自由にされた心と言い換えてもよいでしょう。

罪や悪魔の支配に打ち勝ち、死にも打ち勝たれた主イエスの勝利の福音によって自由にされた心をもって戦うのです。

・・・・わたしたちの心をすぐに支配しようとする不安や恐れや敵意に対して、キリストはすでに勝利なさったという確信と喜び。それがわたしたちの戦いの武器です。

そして、この喜びを奪うものは、もはや存在しないのです。」


共に祈りましょう。

主よ、今や私の体も魂も、私の真実な救い主イエス・キリストのものとされたゆえに、あなたの完全な愛と守りの中に置かれていることを信じます。この確信と喜びをもって、今日与えられる戦いに向かいます。主よ、すべてを備えてください。
2019. 07. 18  
参議院選挙が近づいています。期日前投票に行こうかと思います。

神から与えられた「この国の主権者」としての役割を忠実に果たしたいと、祈って備えています。

今、私たちの時代を覆っているのは、将来への圧倒的な不安感ではないかと思います。

なんだか、もう残り少ない砂時計の砂がサラサラと落ちていくのを見ていくような思いで、なすすべがない・・・とあきらめている。

そういう不安と虚無感に乗じるように、強権的な政権がのさばり、「自分たちこそが救うことができる。黙ってついてこい」と笛を吹いている。

しかし、誰もそんなことを信じてはいないのです。

彼らがこの砂時計を逆転できるなんて、誰も思っていない。でも、誰がやっても同じとあきらめている。そういう風に、私には見えるのです。


「新聞記者」という映画が大きな反響を呼んでいます。人気俳優の松坂桃季さんの出演でも話題です。

東京新聞社会部記者・望月衣塑子氏の2017年の著書『新聞記者』を原案にした社会派のフィクションです。

内閣情報調査室(通称:内調)による恐るべき情報操作の実態が、つまびらかにされています。

あくまで映画ですから、やや過剰な演出のようにも見えるのですが、実際はこれ以上に深刻なのかもしれません。

「政権の安定こそが正義」と信じるごく一部の官僚が、鉄面皮のごとき冷たさで、公共倫理など微塵も考慮することなく、政権に不利な存在をつぶしていく。



民主主義を無邪気に信じることができた世代の方々からすれば、今は日本でも世界でも、まったく信じがたいことが起こっていることでしょう。

私は子どもの頃、ナチスの狂気を知って、どうしてこんな愚かなことを止められなかったのかと単純に思いましたが、「ああ、こういうことなのか・・」と気付かされるような思いです。

誰がやっても同じかもしれない。

でも、一人のキリスト者として、自身の「良心」に対してあまりにも鈍感すぎる人たちには、投票したくないという気持ちがあります。

そして、勇ましいラッパを吹くことより、砂が落ち切ったそのところで、なお絶望せず、粘り強く、空っぽの砂時計に新しい意味を見出すことに、誠実に取り組んでくれる、そんな政治家を求めます。


今日はいつもと違ってすみませんでした。心に浮かんだ聖句を分かち合います。詩編36篇全体です。

「神に逆らう者に罪が語りかけるのが、わたしの心の奥に聞こえる。彼の前に、神への恐れはない。自分の目に自分を偽っているから、自分の悪を認めることも、それを憎むこともできない。・・・・」


共に祈りましょう。

主よ、私たちの時代を憐れんでください。間もなくこの国の参議院選挙が行われます。あなたが日本国民に恵みとして与えてくださった「主権者」としての役割を、あなたにあって誠実に果たすことができるように、聖霊の導きをお与えください。
2019. 07. 17  
先の主日の使徒言行録10章のメッセージは、耳が痛いものでもありました。

神が招いておられる者を、「汚れた異邦人」だからと拒むようなことがあってはならない。

言い換えると、うちの教会にはふさわしくない、救いから遠い存在だといって拒むようなことがあっては断じてならないというメッセージでもあります。

日本では、キリスト教人口は実質0.5%以下でしょう。99・5%クリスチャンでない「異邦人」に囲まれています。

その眼差しは時に非常に冷たく、敵意を覚えることもしばしばです。

そういう中で、どうしても教会は自己防衛のために閉じこもりがちになりますし、外部との接触を恐れてしまうこともあります。

一方では、一人の罪人の悔い改めが喜びなんだと言いながら、もう一方で、本当に救いが必要な罪人を遠ざけてしまうことがしばしばある。

教会に来る人には色んな人がいます。

文字通りの罪人、犯罪者もいれば、心の病に苦しんでいる人、貧困にあえぐ人もいる。これからは、外国人労働者の方も多くあるでしょう。

今お前は、そういう方々との接触を疎んじ、拒んではいないか・・と、主から問われる思いがします。

「どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならない」という神の言葉の前で、自分が問われる思いがするのです。

神はいつでも、救いの門を開いておられます。私たちと外の世界の壁を壊してくれます。


共に祈りましょう。

主よ、未知の人との接触を怖がり、内輪で仲良くすることに喜びと安心を求めてしまう私たちの貧しさを、赦し、憐れんでください。様々な新しい出会いを通して、私たちの心を作り変えてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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