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2017. 09. 20  
昨日は、長老とともにご高齢の方々を訪問し、主の慰めに満たされた時間を過ごすことがゆるされました。

詩編131篇を、行く先々でともに味わいました。

短い詩編です。信仰ということの、ひとつの極まったかたちを示してくれているような祈りの言葉です。

「主よ、わたしの心はおごっていません。わたしの目は高くを見ていません。大きすぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。

わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします。

イスラエルよ(神の民よ、主にある兄弟姉妹たちよ)、主を待ち望め。今も、そしてとこしえに。(詩編131:1-3)」


詩人は、自分の小ささを認めています。

あらゆることを知りたい、その手につかみたい・・・、神の奥義さえもすべてとらえたい・・・、そんな野心に満ちた傲慢は砕かれました。

それは、老いのゆえかもしれません。挫折のゆえかもしれません。病のゆえかもしれません。

わたしたちにはそれぞれに、傲慢を砕かれる時があります。それは、主が与えて下さる恵みの導きです。

砕かれて、砕かれて、はじめて見えてくる、神へのまったき信頼の世界があるはずです。

そこに至ることのゆるされる人は幸いです。

主イエスも言われました。「心の貧しい者は幸いである。天の国はその人たちの者である!!」

そうして、自分の小ささを素直に認めることへと導かれた人が、大きな神様の手にいだかれて、おだやかに安息を味わいます。

すべてをゆだねて、抱かれることしか知らない「幼子」のように・・・。



共に祈りましょう。

主よ、大いなる御腕をもって、この小さな者を守り導いてください。今、力を誇る者たちは、傲慢が砕かれて、幼子のような信頼を学ぶことができますように。今、自分の弱さを受け入れられぬ者たちもまた、その隠れた傲慢が砕かれて、幼子のようにあなたにお任せすることができますように。
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