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2017. 09. 21  
先週からずっと、Ⅱペトロ3章の御言葉を思い巡らしながら、毎日を過ごしています。

Ⅱペトロ3章は、聖書の中でも、「終わりの時」についての独特な教えが与えられる大切な御言葉です。(くわしくは説教をお楽しみに!!)


「世の終わりの時が近い」ということを意識する。そうすると、生き方は自ずと変わります。

個人の終末ということを考えると分かりやすいですね。つまり、死ということです。

病気や災害、戦争などで、「自分は死ぬ」と意識しはじめた時から、時間の流れは変わります。

そのように、「この時間世界には終わりがくる」と意識する。ペトロやパウロたち、最初のキリスト者たちには明確にその意識がありました。


そう意識したら、生き方は自ずと変わらざるを得ません。問題は、どう変わるかです。

もうすぐ終わるのだからどうでもいいやと、やけくそになったように、生き方を乱していく人もいます。

あるいは、急に恐怖にとりつかれる人もいる。これまでは無視して済ませてきた「最後の審判」ということを、恐れはじめるからです。

キリストを信じる者は、そうではないはずです。



Ⅱテモテ4章には、パウロ先生からテモテに対する熱い語りかけがあります。

「・・世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。(Ⅱテモテ4:6-8)」

パウロ先生のように堂々と、「わたしは戦い抜いた!!」と言い切れる人生は幸いですね。なかなかそうはいかないでしょう。

でも、「主が来られるのをひたすら待ち望む人」であれば、パウロのようにはなれずとも、「だれにでも」授けていただけると教えられています。

おもしろいのですが、「ひたすら待ち望む」とは「愛する」という言葉です。

再び来てくださる主イエスを、愛し、切望する。「わたしは来る」という主の約束を、自分の人生において大切にする・・。

そういう者に、義の栄冠は授けていただける。これは、福音です。



共に祈りましょう。

主よ、もしも今日あなたが終わりをもたらしたもうならば、その時にどうか、よく備えられた平安な心をもって主をお迎えすることができますように。終わりの時を過ごすにふさわしい信仰と生活を、私たちの内に形作ってください。





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