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2017. 11. 23  
今日は東関東中会の定期会議が行われます。12の教会から牧師と長老が集まって、会議をいたします。

勝田台教会からも坂井牧師と吉田長老が出席します。覚えてお祈りください。

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昨日、説教の歴史について学ぶ中で、4世紀末の偉大な教父アウグスティヌスの言葉が、心に残りました。

「・・したがって、誰でも聖書全体もしくはその一部を理解したと自認しながら、神とわれわれの隣人への二重の愛を造ることができていないならば、そのひとは全く聖書を理解していないことになるのである。」

説教学の最初の教科書ともいわれる「キリスト教の教え」という著作にある言葉です。

神様への愛、そして隣人への愛。この二重の愛が造られないなら、聖書をわかったとは言えない、ということです。

神を本当に愛するならば、隣人は当然大切にする。なぜなら、隣人は、神が私に与えてくださるものだから。

自分のために隣人を利用しようとする「自己主義」から、どんな人間でも自由ではありません。それを「罪」と言います。

どこまでも隣人本位で、ただ隣人のためにと自分を差し出す、それを「愛」と呼ぶならば、そういう「愛」は、ただ神のためにという献身を知っている人にしか、持てないものかもしれません。

そして、ただ私のためにと命を与えてくださった、イエス・キリストという神の「愛」を知っている人しか、分からないことかもしれません。

そういう「愛」が私たちのうちに造りだされる・・・、それが聖書が分かる時の、限りなく大きな喜びです。恵みです。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。愛を追い求めなさい。(Ⅰコリント13:13-14:1)」


共に祈りましょう。

主よ、自分のことだけ考えているときは、私はいつも強気でした。はっきりと生きていました。しかし、「愛」について教えられてから、行きたくないところへも行かねばならないと、知りました。今でもまだ、それを面倒に思ってしまう私を赦してください。「愛」を知ってから、私には面倒なことが増えました。でも、「愛」を知ることができたから、私はとても自由になりました。主よ、感謝します。まだまだ何もわかっていないものです。どうか今日も、聖書を本当の意味で分からせてください。
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