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2017. 11. 28  
勝田台教会では、先の日曜日、会員総会が行われ、長老・執事候補者が選挙によって選出されました。

祈りに満ちたすばらしい総会だったと思います。新任の方も、再任の方も、選出された方々のことを覚えて、ずっと祈っております。

神様からの「召し=コーリング」は、いつでも、自分の計画を超えた次元で与えられます。

自分では「ありえない」と思うような展開が与えられる時・・・、真の信仰の開眼は、そういう時から始まるのかもしれません。

預言者イザヤの召命の記事(イザヤ書6章)を思い出していました。

私たちの教会で親しんでいる賛美歌の「御民に仕えます」の元になる聖句です。



イザヤはそれまで神殿にお仕えする普通の祭司でした。しかし、ある時、圧倒的な主の臨在を体験しました。

「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」と、み使いたちが呼び交わす声によって、神殿が揺れ動き、煙に満たされました。

イザヤは、おそれを覚えました。聖なる神の前で、自分に絶望したのです。

「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。(イザヤ6:5)」


だめだ、わたしは滅びるよりないと、自分に絶望したのです。

汚れた唇の者・・・、この唇からは、神への賛美も、真摯な祈りも生み出さず、罪深い人間の言葉ばかりを語っている・・・。



しかし、そのようにしておびえ、ひるんでいるイザヤに、み使いは近寄り、その口を火できよめて、言いました。

「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。(6:7)」


神の真実な「召し」を前にしては、誰もがイザヤのようにならざるをえません。

しかし、この「汚れた唇の者」が、赦され、きよめられ、主の器として用いられるのです。

自分では、どれほどにふさわしくないと思っても。

そしてイザヤは、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と、新しい人生に踏み出しました(6:8)。



共に祈りましょう。

主よ、わたしを遣わし、御業をなしてください。心をつくして、御民に仕えます。主よ、今日もあなたの教会につらなる一人一人を用いて、御業をなしてください。



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