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2018. 01. 04  
昨日の新年祈祷会では、マタイ24:3-14を分かち合いました。ここは、新共同訳では「終末の徴(しるし)」と表題がついています。

「終末」、それは主イエスの再臨の時にもたらされる、救いの完成の時、永遠の神の国が到来する時です。

それは、主イエスを信じる者たちにとって、すべての涙をぬぐわれる完全な希望の時です。

この希望の時を待ち望み、この希望へと人々を招く共同体、それがキリスト教会です。

しかし、その「終末」が訪れるまでには、試練の時が続くのですよ・・・それが、イエス様が教えてくださったことでした。

イエス様は、「産みの苦しみ」と表現されました。イエス様のお好きなたとえです。

その苦しみの向こうには、出産のはじける喜びが与えられます。その時には、痛みさえも忘れます。でも、その前には、大きな苦しみ・痛みをくぐりぬけねばなりません。


そういう「産みの苦しみ」が様々に挙げられます。そのひとつとして、「戦争」ということも挙げられていました。

マタイ24:6「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」

今年は年明けから、「核のボタンは私の机の上にある」とのおぞましい挑発の応酬がなされています。

最悪の事態が起こるかもしれません。でも、どんなことがあっても「慌てないように気をつけなさい」とイエス様は教えてくださいました。

そういうことは起こったとしても、何の不思議もありません。人間が、罪人であるからです。

でも、その絶望は「産みの苦しみ」の始まりなのです。その苦しみの中で、私たちの地上の命も失われるかもしれない。でも、その苦しみの向こうに終末の希望が必ず来る。

これが、キリスト者の持つ、希望の歴史観です。

その苦しみを経ることで、はじめて心の向きを変える者もあらわれるでしょう。神は、それを待っておられます。


共に祈りましょう。

主よ、この2018年にどんなことが起ころうとも、希望を失わず、慌てないでいることができますように。しかしまた、希望の人として祈ります。主よ、願わくは地上に平和を与えてください。私たちの愚かさを砕いてください。


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