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2018. 02. 27  
先の日曜日は、「バビロン捕囚」の悲劇について記録した、歴代誌下36章の記事を分かち合いました。

朝の礼拝で、このような箇所を取り上げる教会は、多くはないと思います。

一度この「バビロン捕囚」を、真正面から取り上げて、説教を取り次いでみたいと願っていました。「バビロン捕囚」において味わった悲惨と、神の民の悔い改めということが分からないと、聖書全体の構造がよく分からないままになるからです。

聖書が教えてくれる神様の救いをとらえるためには、大きく3つのポイントがあります。

エジプトからの解放と、バビロンからの解放、そしてイエス・キリストの十字架と復活による罪からの解放です。


主なる神は、助けを求めるイスラエルの人々の叫びにこたえて、「奴隷の家」であるエジプトから救い出してくださいました。

そして、海を越え、ヨルダン川を越えて、約束の地カナンに入れてくださり、そこで豊かな王国を建て上げてくださいました。

これが、終わりの時に完成する「神の国」の原型とも言えます。


しかし、繁栄もつかの間、歴代の王は偶像崇拝にふけり、社会は腐敗し、人心は荒れ、王国は破滅に向かいます。

そして、ついに神は怒りを爆発させ、新バビロニア帝国を用いて怒りの鞭をふるわれ、王国は滅亡します。

神の懲らしめ、裁きとしての「バビロン捕囚」の悲劇です。

その時味わった悲惨・・・。飢え果てた母親が、子を煮炊きして食うというような地獄絵図・・・(哀歌4:10)。

これが、「罪人の悲惨」というものです。そしてこの捕囚の悲しみの中で、人々は、神に背き続けた自分たちの「罪」ということをはっきりと悟ったのです。


しかし、この破滅は、神との関係の終わりではありませんでした。

救いの糸は、まだ切れずに、か細く残っていたのです。神は、怒りに怒られたが、決して彼らを見捨てることはできなかった。憐れみを絶やすことはできなかった。

それゆえ、再び救いの手を差し伸ばし、失われてしまった罪人たちをひとりひとり探して、連れ戻して、新しい出発をさせてくださいます。

そのようにして、かつてエジプトから救い出してくださった神が、バビロンから救い出してくださったのです。


この神が、「罪」にとらわれた人類を、イエス・キリストにおいて裁き、かつ、救ってくださる、というわけです。


共に祈りましょう。

主よ、旧約の歴史をとおして、あなたのことをよく知り、わたしたちの先祖の歩みをよく知ることができますように。そして、人間のことを知り、自分自身のことをもよく知ることができますように。
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