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2018. 03. 22  
昨日の朝日新聞の「折々のことば」に、こんな言葉が紹介されていました。

「賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている。(オルテガ・イ・ガゼット)」

(こちらで読めます。www.asahi.com/articles/ASL3G45PML3GUCVL00G.html)

おもしろいですね。昔、養老猛さんが「バカの壁」という言葉で言おうとしたことと、重なると思います。

賢者というのは、愚か者だと自覚し、「自分」を疑っている人です。

「自分」の分かっていることなど、ほんのわずかでしかない。

「自分」が正しいと思っていることは、ぜんぜん正しくない可能性がある。

そういうことを知っているから、新しい知識に貪欲だし、「自分」が変えられていくことを恐がりません。

しかし、そうはいかないのが私たちです。

どんなに外から揺さぶられても、なんでも「自分」に引きつけて、これまでの「自分」に分かる範囲でだけ、都合よく受け取ろうとする。

そうやって、ぐるぐるぐるぐる「自分」の中でとどまっているから、いつまでたっても「バカ」の壁を超えられない。

しかも残念なことに、私たちにはそういう愚か者であるという自覚さえ、なかなかもてない。

自覚していると思っている人ほど、実は結局「自分」の殻を破ることができないで、ぐずぐず言い訳ばかりしている。



先週の全国学生会でも、「自分を超えていけ」と言われていました。

居心地のいい「自分」に安住しないで、今の「自分」を疑って、どんどん殻を破って成長していきなさい・・・と。

マタイ16:24の「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という御言葉が引かれました。

私たちの古い「自分」は、イエスと共に十字架につけられ死なしめられたのです。

だから、古い「自分」をいつも何度でも捨て去って、イエス様に従う新しい歩みにおいて、何度でも「自分を超えていきなさい」と、教えられました。

これは、学生たちだけが聞くべき言葉でしょうか・・・。



共に祈りましょう。

主よ、わたしたちの人生はあなたのものです。わたしたちが勝手に「自分」を知った気になって、小さく固めてしまわないように。わたしを砕いてください。開いてください。

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