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2018. 03. 23  
今はレント、受難節を過ごしています。キリストの十字架の死の意味を、特別に想い起しながら、説教準備を進めています。

その過程で、イザヤ書43:24-25の御言葉を示され、考えさせられました。

神は言われます。あなたは、わたしを少しも喜ばせようとしない。

「むしろ、あなたの罪のためにわたしを苦しめ、あなたの悪のために、わたしに重荷を負わせた(煩わせた)」と。

神が苦しんでおられる、と言われています。これは、ショックです。

あなたの罪のために、わたしは苦しんでいる。耐え難い重荷を負わされている、とおっしゃるのです。

それは、悲しみのゆえ、また怒りのゆえでしょう。

神を見失ったわたしたちの織り成す、罪の悲惨に満ちた現実が、神を思い煩わせているのです。



わたしたちは、自分が神を思い煩わせていると、真剣に考えたことがあったでしょうか。



かつて、私の師に教えていただいたことを思い出しました。

もう18年も前、9・11アメリカ同時多発テロの時、まだ20代だった私は師に問いました。「どうしてこんなことが起こるのですか。神は何を考えておられるのですか。」

師は答えてくれました。「・・・このような時には、神の御心を問う前に、人間の罪の闇の深さについて、まず考えなさい。

このようなことが起こる時に、一番悲しんでおられるのは神ご自身です。神が、この罪の悲惨をごらんになって、苦悩しておられるのです。」



神はこの思い煩いを解決なさるために、どうなさったでしょうか。

イザヤ書の続きには、驚くべきことが書いてあります。「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする。」

神は、もうまっぴらだと、罪深い人間を見捨て、消すという手段を、もはやお選びになりません。

その罪をぬぐい、もうあなたの罪を思い出さないと言われます。それは、この煩わしい私たちという存在を、まるごと引き受け、愛し抜くと、言っていただいているに等しい。

そのために、キリストの十字架が必要だったのです。


共に祈りましょう。

主よ、私自身の思い煩いばかりが、私の心にありました。あなたがそれに応えてくださらない、どうしてか・・・、そんな思いもありました。しかしあなたが、私の罪の日々を、悲しみ、思い煩っておられたことを知りませんでした。主よ、ごめんなさい。赦してください。

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