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2018. 04. 18  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は1:7の前半です。

<私訳>「それでわたしは、神に愛されている人たち、神から召し出された聖徒である、ローマにいるすべての人たちへ、この手紙を送ります。」

「神に愛されている人たち」とあるのは、「愛する人たち」という言葉に、「神の」という属格がくっついた言葉です。

「神が愛しておられる人たち」と訳してもいいのではないかと思います。ポイントは、「愛する」主体が「神」だということです。

パウロはふつう、「愛する人たち」という呼びかけを多用します。

しかし、ここは違う。「神に愛されている人たち」、実はこれは、とても珍しい言葉遣いなのです。

おそらく、パウロがこのローマの群れと、まだ一度も会ったことがないからでしょう。

その意味で、個人的なつながりがなく、顔も知らない。でも、彼らが「神に愛されている」ということを、パウロはよく知っていました。


それから、「神から召し出された聖徒」とあるのは、1:1で、パウロの自己紹介において「神から召し出された使徒」とあったのと、対になっているのだと理解しました。

昨日の6節にもありましたが、すべてのクリスチャンは、神から「召し出され=呼ばれ」て、新しい人生を用意されます。

私たちは、パウロのように「使徒」の召しは受けません。

しかし、「聖徒=聖なる者たち」という特別な役割へと、みんな、召し出された者たちです。

「聖なる者」とはどういう存在か、話し出すと長くなるので今日はやめましょう。

自分がそういう者とされたのだと意識すれば、聖書の読み方も変わるはずです。自分で勉強なさってください。


共に祈りましょう。

主よ。わたしの愛する人たちを、あなたが愛しておられる人たちを、今日もあなたがお守りくださり、必要なすべてのよいことを備えてください。また私たちに、恵みの発見と、信仰の成長をゆたかに与えてくださり、「聖なる者たち」としての自覚に目覚めさせてください。
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