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2018. 04. 25  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は1:10です。

<私訳>「神が私の証人ですが(9節)・・、私の祈りのたびごとにいつでも、絶えずあなたがたのことを想い起し(9節)、ゆるされるなら、なんとかして、ついに、いつかは、神の御心によって道が開かれ、あなたがたのところに行くことができますようにと願ってます。」

ギリシャ語の苦手な私には大変難解な文章ですが、きっとこんな感じで、パウロがごにょごにょ言っていたのだと思います。

ぜひあなたがたのところに行きたいのだ、と切望しつつも、今はどうしても行けないという事情・・。

パウロはこの時、ギリシャ地方の教会からの献金を届けるためにエルサレムに行き、困難にあえぐ教会を助けようとしています。

それが無事に終わった後で、ローマに入り、そこを宣教の拠点として、西方に伝道を展開したいと願っていたのです。

しかし、無事に終えられるかどうか・・、だから、こんな風に、言葉が揺れ動きます。


「神の御心によって」と言っています。

「私の願いではなく、あなたの御心がなりますように」との祈りは、主イエスのゲツセマネの祈りから教えられるものです。

どうしてもこれは避けたいという重荷も、御心によって、負いなさいと示される時があります。

どうしてもあそこに行きたいという願いも、御心によって、道が閉ざされる時があります。

神の御心と、私の願いは、一致しないことがあるのですね。本当に、これが悩ましい・・。

しかし、だから何も願わないというのは、違うでしょう。

自分がなすべきだと確信していることや、どうしても実現してほしいことを、ひたすらに祈り願うのです。パウロのように。

その祈りの結果として、なんとパウロはエルサレムで捕らえられた後、囚人として念願のローマに行くことになりました(使徒言行録27章など)。

神の御心は、私たちの小さな願いを超えて大きい。

しかしまた神は、私たちの小さな願いを、ちゃんと聞いていてくださいます。限りなくやさしく、決して悪いようにはなさいません。

だから、信じて、ゆだねて、時を待って、今自分に与えられた願いを、あきらめずに願い続けるのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたを信じて歩むことのできる、この身の幸いを感謝します。あなたはこれまで、私の人生に、よいものを満たしてくださいました。今日も、すべてを知っていてくださるあなたにおゆだねします。
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