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2018. 04. 26  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は1:11です。

<私訳>「私はあなたがたに会いたいと切に望みます。あなたがたに霊的な賜物をいくらかでも分け与えたいのです。あなたがたが堅く立たされるためです。」


「堅く立たされるため」としたのは、新共同訳で「力になりたい」とあるところです。

原文は受動態になってます。それは、教会を立たせるのはパウロでなく神様であって、神様によって「堅く立たされる」という理解からのことでしょう。

神様を隠れた主語とした、神様中心の考えです。


そうやって教会が堅く立たされることのためには、「霊的な賜物を分け与える」ことが必要です。

「霊的な賜物」というのは、ローマ書の12:6以下に出てくる、預言や奉仕や教えの「賜物」です。

それらは、そういう「才能」と考えると分かりやすいですが、大事なのは、それらは聖霊によって授け与えられる恵みのプレゼントということです。

「賜物=カリスマ」とは「恵み=カリス」の派生語ですから。

しかし同時に、ここで面白いのは、そういう「賜物」は、パウロが彼らに直接会うことによって、パウロが「分け与える」ことによって引き起こされると考えられていることです。

「賜物」は神様がくださるものですが、そのためには、信仰の先輩から後輩への、人格的なふれあいが必要とされます。

これは、とても大切なことです。

私たちの信仰の成長、また奉仕の成長というのは、尊敬すべき具体的な信仰者とのふれあいの中で、その人格的な感化をとおして、育まれていくものです。

だれと出会うかということが、本当に大切なのです。

こういうことを、人間的だと言って批判するのは違うと思います。これは、人格的というのです。

神が人となられた方との「人格的出会い」によって生まれたキリスト教は、こういうことをもっと大切にしないといけないのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたがこれまでに私たちにくださった、たくさんのすばらしい出会いに感謝します。そして今、あなたがくださっている信仰の友との人格的ふれあいの日々に、心から感謝します。この祈りの交わりの中で、互いに励まし合い、霊的に成長していくことができますように。私たち自身も、誰かに感化を与える者として用いられますように。
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