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2018. 05. 17  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。1:17の続きです。

昨日までのところを、1:16から続けて敷衍訳してみましょう。

「私は、福音、すなわち御子イエスについての素晴らしい情報を、恥じることなくそのままに伝えます。なぜなら、今まさに生ける神が全力で働いておられて、私たちにこの知らせを伝え、救いへと導こうとしておられるからです。この福音のうちに、神の義、すなわち罪にゆがんだ世界をまっすぐに回復しようとなさる神の責任感がはっきりとあらわされているのです。」


今日は、その「神の義」の説明句としてつけられている、「ピスティスからピスティスへ」という問題です。

ここでのギリシャ語ピスティスは、ふつうは「信仰」と訳されますね。

でも、パウロが本来持っていたヘブライ的な言葉遣いでは、ピスティスは「(契約に対する)忠実、誠実=ヘブライ語のエムーナー」なのです。

しかも、それは人間の側からのピスティスだけでなく、神様の側からのピスティスとして、「約束を必ず守る真実」という意味でも使われます。


そんなことを考えていくと、「ピスティスからピスティスへ」というのは果たしてどういうことか?

<神様の側の「真実」からはじまって、人間の「信仰・忠誠」を作り上げていく、そういう「神の義」である>、という理解にとても魅力を覚えます。

でも、そう言い切るのも決め手が欠けます。

もっと大きな文脈で2,3章まで見渡して考えるなら、とにかくパウロが言おうとしてるのは「律法を持っているかどうかじゃなくて、真のピスティスこそ必要なのだ」ということのようです。

神様が、責任をもって救ってくださるから、それを受けさせていただくにはピスティスが必要、ということでしょう。


もう時間になってしまいました。すみません、もう一度明日・・・。


共に祈りましょう。

主よ、今日も様々なことを忘れて、御言葉に集中する時間をくださって感謝します。みんな色んなことを抱えていますが、今日もあなたの義に支えられて、元気に歩めますように。変わることのない真理に、しっかり立つことができますように。

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2018年5月18日 ローマ1:17④
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