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2018. 06. 07  
今日からまたローマ書を再開しようと思いましたが、考えてみれば、来週・再来週と出張が続いて、しばらくお休みになります。

ローマ書の講解は、その後にしましょう。
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先の主日の礼拝では、ルカ3:21-22の、イエス様が洗礼をお受けになったという記事を分かち合いました。

どうしてイエス様が洗礼をお受けになるのか?

一切の罪が無い方。洗われる必要の無い方。その方がなぜ、「罪の赦しを得させるための悔改めの洗礼(3:3)」をお受けになるのか。

それは、悔い改めて新しく生きたいと願う者たちと、共に歩んでくださるためだと、私は申し上げました。

洗礼を受けたいとヨルダン川に集ってきた者たちは、魂の飢え渇きを覚えて、神のもとに帰りたいと願った者たちです。

どうかこの汚れた心をきれいにしてほしいと、泣き崩れる者もいたかもしれません。


そういう私たちと共に生きるために、そういう私たちの汚れを引き受けるようにして、イエス様は列に並び、一緒に洗礼を受けて下さったのです。


信仰には「悔い改め」ということが絶対に必要です。そこにはやはり、ある厳しさがある。

キリストの教えは、「悔い改め」への招きです。それはすなわち、向きを変えて、新しく生きようとする決断への招き・・。

そこにはやはり厳しい響きがある。でも、そうやって悔い改めたいと願い始めた者たちを、イエス様は決して見捨てたりなさいません。裁き落としたりなさいません。

そういう私たちと横並びで歩んでくださって、いつも赦しつづけ、受け入れつづけ、励ましつづけてくださいます。

お前はダメな子ではないよ・・。悔い改めたいと願う心は、まだ消えていないじゃないか。また、新しく歩みだしなさいと、何度でもスタートし直させてくださいます。

そういう私たちと共にスタートを切ってくださった、それがイエス様の洗礼でした。

このイエス様が、最後まで責任をもって伴走してくださり、永遠の命に導いて下さいます。


共に祈りましょう。

主よ、厳しくやさしいあなたの手が、私の肩を抱いていてくださるのを、こんなにもはっきりと感じています。

主よ、昨日の私と違う私として、今日を新しく歩ませてください。この汚れた心を清めてください。主よ、悔い改めの道を歩んでいるすべての者たちに、尽きせぬ憐れみと励ましがありますように。

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