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2018. 07. 13  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は1:29です。

<私訳>「そうして彼らは、あらゆる不義、邪悪、むさぼり、意地悪に満ちていて、ねたみ、人殺し、ケンカ、だまし、悪だくみでいっぱいで、人の陰口を言い・・・」

29-32節に示された悪徳表は、ギリシャの哲学者たちが示すものとも似ており、日本でも普通に道徳の授業に用いられそうです。

しかしパウロが伝えようとしているのは、これが神の怒りのもとにある人間の惨状だということです。

昨日の28節にあったように、神様のことを「役立たず」と断じて無視するような人間の傲慢に対して、神様は、落ちるところまで落ちていけとほったらかしにされ、それゆえに人間は「してはならないことをするようになった」のです。

その結果として起こっているのが、この惨状です。


「不義」というのは、神様が正しいとすることを否定し、自分の正しさを主張することです。

「むさぼり」は自己中心な貪欲、欲張り。

辞書にはやたら詳しくこうあります。「もっともっと自分のものとして取り込もうとする欲望、人の権利を踏みにじってまで自分の所有を増やそうとする欲望、取ってはならないものまで無理に手を伸ばして取ろうとする欲望。」

「意地悪」、これはくせものです。意地悪な人は、自分の意地悪に気がついていなかったり、あるいは、分かっていてもやめられません。

善意を装って、皮肉な嫌味を言ったりします。自分がそうなので、よく分かります。

「ねたみ」、私は男性なので、特に男のねたみの闇の深さ、おぞましさということを覚えさせられます。女性も同じでしょうか。

「人殺し」、ドキッとします。イエス様は、心の中でバカと言うのも、その人を殺すのと同じだと言われました。

そして、「ケンカ、だまし、悪だくみ、陰口」・・・、確かに、私たちの現実はそういうもので「いっぱい」です。


これらが、福音の光によってあばかれた、人間の闇です。正体です。

こういう自分に嫌気がさして、罪を自覚するなら、それが、それこそが、救いの始まりです。

パウロがこんなにしつこく罪を指摘するのも、救いへ招きたいからです。それ以外にはありません。


共に祈りましょう。

主よ、御言葉に触れれば触れるほど、自分の罪深さを知らされ嫌になります。神の子に十字架で死んでいただかねばならなかったほどの、私たちの罪とはどれほど深く大きいのでしょうか。あなたの赦しの愛に感謝します。自分の罪をよく知り、それと闘うことができるようにしてください。
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