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2018. 07. 26  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は2:2-3です。

<私訳>「私たちは知っています。このようなことを繰り返す者たちの上に、神の裁きが、真理に従ってなされるということを。しかし、人よ。このようなことを繰り返す者たちを裁いているあなた、でも同時に、自分も同じことをしているあなた!!あなたは、自分だけが神の裁きを逃れられるなどと目論んでいるのですか。」


昨日に続いて、「人を裁きながら、自分も同じことをしている」と、私たちの罪の本性が追い詰められています。

今日は特に、「神の裁き」という恐るべき事実が思い起こされています。

それは「真理に従って」なされる、とあります。これはとても重々しい表現です。

真理に従ってというのは、事柄の真実に照らしてということです。

神様の前には一切のごまかしが通用しません。人はうわべを見るが、神はすべてをご存じです。偽善も、口先だけの信仰も、全部お見通しです。


先日、ある方とお話していて、「先生は自分の罪深さということを、丁寧に掘り下げて見つめようとしておられるけど、そういうことばかりしているとノイローゼのようになってしまわれないか」と心配していただきました。

もし私がおっしゃる通りにできているとすれば、それは、「神の裁き」ということを意識しているからでしょう。

神様の前には、ごまかしがきかないと知っているから、正直にさらけだすしかありません。

とは言いながら、そうしながらもなお人には言えずに隠していることもあります。

「『自分の罪深さを悔い改めている』ポーズを見せようとしている自分」であることも知っています。

自分にしか知り得ない、自分の罪深さがあります。

しかしさらに恐るべきことに、そうやって自分について知ったかぶりをしている自分が、なお知らない、なお数えていない自分の罪さえも、神は「真理に従って」全部ご存じです。

・・・もうお手上げです。

そういうことを考え続けて行けば、確かにノイローゼになるかもしれませんね。

でも、私がノイローゼにならないのは、そういう私が赦されているということに、全面的によりかかっているからです。

すべては赦されている。だからもう、自分をいじめるために罪を掘り下げたりしません。

そうじゃなく、赦していただいたことがただただうれしいから、キリストに少しでもふさわしくなりたくて、自分をちゃんと見つめて、その罪と戦いたいのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの前でごちゃごちゃ申し上げても仕方ありません。私の罪を赦してください。そして、神の子として、今日も作り変えていってくださって、あなたとのお付き合いを深めさせてください。あなたに愛されている私自身を、自分でももっと好きになっていくことができますように、どんどん整えて行ってください。
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