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2018. 07. 27  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は2:4です。

<私訳>「それとも、神の慈愛と忍耐と寛容との豊かさを誤解して、憐れみ深いこの方があなたを悔い改めさせようとしておられることが理解できないのですか。」

「慈愛」と「憐れみ深い」は同じ語根です。神様の親切なやさしさです。

「忍耐」は「辛抱」でもいいでしょう。そして「寛容」としたのは「怒ること遅い」ということです。

わたしたちの悔改めを待ってくださって、最終的な結論(判決)を遅らせておられる神の忍耐ということです(Ⅱペトロ3:9)。

でも、そういう神の忍耐を「誤解」している私たち。

「誤解する」としたのは、「軽んじる、うとんじる」と解されることが多いですが、そこから転じて、「自分に都合よく間違って理解する」という意味で考えています。


榊原康夫先生の注解にありましたが、コヘレト8:11にこういう言葉があります「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている。(口語訳)」

神の裁きが必ずあるということは伝説のように聞かされていても、それはいつも世の終わりまでおあずけで、今はなにもないじゃないか。

むしろ、悪事を働く人がうまい汁を吸い、正直者が損を見ているではないか。

それならば、どんどん悪いことをやったほうがいいではないかと、人の心が悪に傾いていく。

それが、2018年現在のわたしたちの現実かもしれません。

そういう中で、目覚めている者として歩むというのはどういうことでしょうか・・・。


共に祈りましょう。

主よ、あなたはどんな思いで、昨日のわたしたちを御覧になっておられたのでしょうか。悔い改めということを、私自身が、そして私が出会わせていただいた方々が、よく考えることができますように、聖霊の導きを与えてください。
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