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2018. 10. 17  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は2:28-29です。

自分たちは「文字に書かれた律法を持っている」ということや、「割礼を受けている」ということを誇りとしてきたユダヤ人に対する、痛烈な批判がされてきました。その最後のところです。

<私訳>「見せかけのユダヤ人ではいけない、肉体に施された見せかけの割礼が割礼ではない。かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字によるのでなく霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その栄誉は、人からではなく神からいただくのです。」


「隠れたユダヤ人」とある「隠れた」は、2章16節の「神が隠れた事柄を裁かれる」とあるのと同じ語です。

神様にはすべてお見通しです。見せかけの信仰は、通用しません。私たちで言えば、形だけの洗礼では意味がありません。

大事なのは、「霊によって心に施された割礼」であり、すなわち、聖霊をいただいて新しく生まれさせていただくことです。


だからといって、洗礼という形式的儀式は無用であるというのは、言い過ぎです。

それはイエス様が「人々に授けなさい(マタイ28:19)」と命じられたものです。

洗礼は、しるしであり、証印といわれます。

信仰の弱い私たちのために、神様が押してくださる太鼓判であり、入学させていただいたことを証明する在校証明書のようなものです。

「洗礼を受けた私の内には、確かに聖霊が生きておられる」と、確認させていただくのです。

確認させていただき、もう一度初心に帰る。

あの、水で洗っていただいた時の思いを思い出す。

そのためにこそ、洗礼式という明確なスタート地点が、私たちには必要なのです。


思い出してください。あなたは、聖霊をいただいて新しく生まれさせていただいたのです。


共に祈りましょう。

主よ、見せかけだけの信仰者でありたくないと願います。きよめてください。整えてください。あの最初の熱心を、喜びを、今日の私たちに思い出させてください。また、未信の友に、あの喜びをお与えください。
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