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2018. 10. 25  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は3:3,4です。

<私訳>「では、どうでしょう。もし彼らの中にある者たちが、その神の言葉に対して不忠実であったら、その不忠実によって、神の信用性はボロボロに崩れるのではないか。

そんなことはありえません。神は真実であるとしなさい。人間がみんな偽り者であったとしてもです。『あなたがあなたの言葉によって正しいとされ、あなたが裁かれる時に、勝利を得られるため』と書いてある通りです。」


この世界にあって、聖書の神である「主」との特別な関係に、まずはじめに招かれたのはユダヤ人(=ヘブライ人、イスラエル)でした。

その彼らに「委ねられた(2節)」特別な使命は、「神の言葉を保存し、広く伝える」ことでした。

しかし、ユダヤ人は「その神の言葉に対して不忠実」であったと、パウロ先生は嘆きます。

ここでの「不忠実である」というのは、先の「委ねられた」の反意の言葉です。

せっかく神様から、大切な御言葉・教えを「委ねられた・信託された」のに、それを裏切るかたちになってしまっている。

そうなってきますと、そういう信仰者のだらしない様から判断するに、聖書の神など信用できないではないか・・、その御言葉・教えなど信じるに価しないではないか・・・。

私たちもまた、「私を見ないでくれ、信仰の悪い見本だから・・」と言ってしまいがちですが、人間と言うのは具体的なものを大事にしますから、ある宗教の信ぴょう性というものを、その信仰者の生き様でもって判断するというところがあります。

でも、人間の不真実のゆえに神の真実が揺らぐと考えている人は、結局のところ、人間が神を生み出し、宗教をつくると考えている人でしょう。

確かに、そのようにして生まれてくる、いわゆる「宗教」というものがたくさんある。

でも、本当の信仰とは、どんな時も「神は真実である」と信じ、その神の下に自分をへりくだらせるものです。

たとえ、信仰者がみんなダメな偽り者であっても、神はどこまでも真実です。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの今日の一日が、あなたの御栄光を損なうものとなりませんように。主よ、あなたに愛されている者として、喜びと平安のうちに歩ませてください。愛と義を行わせてください。あなたの御心と、わたしの心がひとつとなりますように。
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