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2018. 12. 20  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。3:21ー26の、ローマ書の中核とも言える箇所に取り組んでいます。

昨日のものに修正をしつつ、21ー22節を私訳します。

<私訳>「しかし今や、『律法を行いなさい』ということとはまったく別のかたちで、神の義が明らかにされました。それは実は、モーセ五書や預言者たちの書、すなわち『聖書』において、すでに証言されているものなのです。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であり、信じる者たちすべてを対象としています。そこには差別がないのです。」


「神の義」というのが、やはり難しいですね。

先に、1:17を読んだ時に、「神の義」とは、「罪にゆがんだ世界をまっすぐに回復しようとなさる神の責任感」と、大づかみにとらえてみました。

神様は、人間の裏切りによる堕落の後も、ずっと創造者としての責任において、世界と人間とに対する関心を失われずに、関り続けてくださいました。

そうして全人類の中からアブラハムという一人の人を選んで、御自身の生きておられることを示され、彼から始まる壮大な神の国の物語を約束されました。

それは、アブラハムには思いもよらないことでしたが、彼からはじまるイスラエルという特殊な民族を「祝福の源」として、全人類に祝福を及ぼそうとする壮大なご計画でした。

そうして、イスラエル民族には、主なる神の広告塔として、不思議な歴史と、『聖書』という神の言葉が与えられました。

その『聖書』には、まず十戒に代表されるような、神の定めたルール「律法」ということが示されています。

神様は、その律法を「ちゃんと行いなさい」と世界に呼びかけられたのです。

そういうかたちで、「世界を回復させたいと願う責任感」を表されたのです。

イスラエル民族も、自分たちの名刺代わりに「律法」をもち、広告塔として、それをちゃんと守ることが期待されました。

しかし、その結果はどうだったでしょう。

「正しい者は一人もいない」とパウロが言うように、「ちゃんと行う」ことなど誰にもできなかったのです。

むしろ、イスラエルをはじめとする全人類は、神のルールに逆らい続けました。

神の呼びかけは、空しく終わりました・・。しかし、神は「もう知らん」と投げ出されませんでした。

あのノアの洪水の時のように、逆上なさって怒りに我を任せることも、もうなさいませんでした。

そうではなく、忍耐と、約束を守ろうとする真実と、深い愛をもって、新しい仕方で責任を果そうとされたのです。

それが、イエス・キリストを与えるという方法でした。

そしてそれは実は、ずっと前からすでに『聖書』において示されてきていた約束だったと、パウロは言っているのです。


共に祈りましょう。

主よ、天地の創造者であるあなたの深遠なご計画を、こんなに簡単にまとめてしまってよいものかと、おそれを覚えています。主よ、イエス・キリストを与えてくださったあなたの思いを、どうか私たちに深く悟らせてください。このクリスマスという時にこそ・・・。

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