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2019. 01. 15  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は3:25の後半です。

25節前半では、神の怒りをなだめるための供え物として、神自らが、キリストの命を差し出してくださったと教えられました。

それは、私たちが支払うべき賠償金の代わりに、イエス様の命というこの上なく高価なものが差し出されたということです。

それはまた別の言い方をすれば、私たちが受けるべき「罪の処断」を、イエス様が身代わりに引き受けられたということです。


25節後半はこう続きます。<私訳>「それは、神の広い忍耐の心によって、今までなされてきた罪科の数々を見逃してこられたので、(十字架による罪の処断によって)ご自身の義を立証するため、」

ここでの「神の義」とは、罪を憎み、処罰することなしに赦すことのできない「神の正義」というニュアンスが強いです。

そういう神の正義は、あのノアの方舟の物語を想い起せばよく分かります。

あの時神は、怒りにふるえ、全部捨ててしまおうとされたのです。人間のにおいのするもの全部を・・。

でも神は、もう二度とこのようなことはしないと、あの時約束してくださいました。それゆえ、今に至るまで、神は「広い忍耐の心」をもって、私たち人間の繰り返す「罪科の数々」を見逃してこられたのです。

いや、見逃したというと正確ではないかもしれません。

しっかりと見て、数えておられるでしょう。でも、手を出さずにいてくださったのです。怒りに震えつつ、また、深く悲しみつつ・・。

そういう神が、今、ついにその「義」を示し、人間の罪を処断すると決断なさいました。

それがイエス・キリストの十字架の時でした。


共に祈りましょう。

主よ、この手紙と聖書全体の中心ともいえるところを、丁寧に学ばせていただいています。どうか、よく理解させてくだり、わたしたちの根本的な方向性を定めさせてください。





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