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2019. 01. 22  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は3:27-28です。

<私訳>「それでは、誇りはどこにあるのか?そんなものはもうとっくに締め出されたのです。

どういう原理でそうなるのか?行いの原理ではそうならない。でも、信仰の原理によってはそうなるのです。

なぜなら、人は律法の行いとは関係なく、信仰によって義とされると、私たちは考えるからです。」


「行いの原理、信仰の原理」とした「原理(ノモス)」とは、「律法」というのと同じ語です。新共同訳は「法則」。

これを「律法(トーラー)」と訳す方向で理解してみたいとも思いつつ、とりあえずは、多数派にしたがっておきます。ちなみに新改訳2017は「律法」です。

榊原康夫先生は、「宗教的原理」と訳します。絶対的なものとの関係において、どういう原理で生活するか。どういう仕方でアプローチするかの問題だと。

まあ、そういうことなのかなと思います。

ここでは「誇り」、宗教的プライドが問題とされています。

パウロという人は元来、よほど誇り高い人だったのでしょう。自慢できるところの多い人であったとも言えます。

彼の手紙では「誇り」の問題がしばしば扱われます。

彼には、少なくともユダヤ人の宗教原理の中にあっては、自分は誰よりも勉強してきたし、敬虔の業に励んできたという自負がありました。

でも今は、そういうものは全部役に立たない、シャットアウトされてしまったと言います。

信仰の原理というのは、そういうものなのです。わたしたちの自慢とするところを全部役立たずにし、誇りを打ち砕くものです。

誰もがただイエス・キリストへの信仰によってのみ義とされる。そこには何の差別もないと言うのですから。

プライドの問題は、もうちょっと思い巡らしたいですね。続きはまた明日。


共に祈りましょう。

主よ、聖なる方、完全な正義、大いなる愛よ。私の心はさもしくて、小さなプライドが壊されることを怖れています。でも、必要なだけ砕いてくださって、ただ信仰によって義とされるということの真の喜びを悟らせてください。




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