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2019. 01. 30  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は3:29-30です。かなり意訳的な私訳です。

<私訳>「それとも神はユダヤ人だけのための方でしょうか。まだ神を知らぬ人々のための方でもあるのではありませんか。そうです、すべての人の神でもあるのです。

もし本当に神がおひとりだけならば、そうならざるをえないでしょう。この唯一の方が、割礼のある者も割礼のない者をも、どちらも同じく、ただ信仰によって義としてくださるのです。」


昨日の27-28節では「誇り」の問題が扱われました。

それは直接的には、ユダヤ人の宗教原理において大切にされてきた「誇り」は、もう役に立たないのだという議論でした。

それは「ユダヤ民族の誇り」の問題でもあります。

一度は国を失いながら、「割礼と安息日」という戒律に生きる極めてユニークな「神の民」としてのプライドをもって、古代オリエント世界でつっぱって生き抜いてきたユダヤ民族です。

でも、そんなプライドはもう捨ててしまえと言うのです。神様とのお付き合いは、まったく違うステージに入ったのだと、パウロは言いたいのです。


確かに神はこれまで、アブラハムに始まるユダヤ民族との特別な関係において、ご自身をあらわしてくださいました。

でもそれは、神が「ユダヤ人だけの神」ということではありません。

創造者であり、導きの主である神は、全世界・全人類・全被造物にとっての神でもあります。

もちろんユダヤの人々もそれを知っています。でも、放蕩息子のお兄さんのことを思い出してください。

自分だけが父に忠実な息子としてがんばってきたのに、これまでいい加減な生活をしてきた弟があらわれて、父の寵愛を受ける・・・。

耐えがたい思いになるのは、共感できるのではないでしょうか。

「神の民」の誇りに生きてきたパウロにとっても、すべての者が「ただイエス・キリストへの信仰によって」義とされるというのは、そういう受け入れがたい教えだったことでしょう。

そういうパウロが言うことだからこそ、深い重みがあるのです。


共に祈りましょう。

主よ、極東の偶像崇拝に満ちた島国に生きてきた者が、ただ信仰によって、あなたとの契約に入れていただいたこと、この大いなる恵みに改めて感謝します。かつての私と同じように、まだ神を知らぬ者たちがたくさんいます。主よ、その方々を救いに導いてください。

また、キリストに対してかたくなになってしまったユダヤの人々にも、恵みと憐れみを注いでくださって、主イエスをメシアと認める信仰を与え、その魂をいやしてください。
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