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2019. 02. 15  
先の主日には、ルカ12:13-21から、「愚かな金持ちのたとえ」を学びました。

ある金持ちが、大豊作で、蔵に入りきらないほどの財産を得ました。蔵がいっぱいになったのですから、もう十分です。有り余っているということです。

だったら貧しい人にあげるとかいう発想があるといいのですが、そうはいきません。

全部、自分のものとして確保するために、蔵を大きくしようと考えました。

そうやって、自分で、自分のものを、自分のために確保することで、彼は安心をするのです。

でも、悲しいかな、そうして安心したその夜に、彼の人生は終わりを迎える・・・。

こういうたとえ話によって、イエス様は、何を教えようとしてくださっているのでしょうか。


地上の財産を蓄えることに執着するのは空しいことだ。どうせ誰もが死ぬ。裸で土に帰っていく。だから、「貪欲=欲しがる罪」に気をつけなさい。

そういう教えだと理解されることもあります。そういうことも当然含んでいるでしょう。

でも、より丁寧に考えれば、お金や持ち物、財産を「すべては自分のものだ!!」と考えることの間違いが、教えられているのだと思います。

すべては神様のものであって、私たちのものではない。これがポイントです。

私たちは、この地上で生きる間、いうなればレンタルをさせていただいるのであって、決して自分のものではない。

そして、それは神様のご都合で、ある時突然終わるのであって、残念ながら、私たちの計画通りには進まないのです。

私たちのお金や持ち物、さらには生命そのものさえも、すべては神様のものであって、取り去られる時があるのです。

このたとえ話の中心は、そういうところです。

そうであればこそ、自分のために富を積むということでなく、「神の前に豊かになる(ルカ12:21)」ということを考えてごらんと、示されています。


共に祈りましょう。

主よ、今日与えられている生命、時間、仕事、出会い・・・。今、私たちが用いることがゆるされている間に、これらのものを、存分に喜び楽しませてくださいますように。そして、あなたの前に豊かになるとはどういうことか、それぞれに考えさせてください。

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