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2019. 02. 27  
ローマ書を一節ずつ読んでみる。今日は4:14です。

アブラハムとその子孫に与えられた「約束」とは、「世界の相続人になる」ことです。

その約束は、「信仰による義」に基づくのであって、「律法」に基づくのではないと、昨日確認しました。

今日はその続きです。<私訳>「もし律法によって生きる者が相続人になるのであれば、信仰は虚しくされてしまい、あの約束は破棄されたことになってしまいます。」


「律法によって生きる」というのは、難しい言葉です。

律法に「立つ、頼る、行う、よりどころにする」など、色んな翻訳ができます。英語のfromのような前置詞が、ひとつ付いてるだけの言葉です。

手段・条件として、「律法によって生きる」とも考えられます。

よって立つ根本原理、生活原理という意味で、「律法によって生きる」でもいい。

そもそも、「律法」とは何でしょう?

この場合は、神様との法的・条件的な取り決め、というニュアンスが強いと思います。


榊原康夫先生の説教の中で、おもしろいたとえがされていたので、そのまま紹介しますね。

その当時ブーツが流行していたそうで、娘さんに「買ってあげる」と約束したそうです。

しかしお忙しいものですから、それきりになってしまってまだ約束が果たせない。

奥様もあきれてしまって、「パパはいつもいいことだけ言って守ってくれないから、もう娘はとっくにあきらめてるか、忘れていますよ」と言われてしまう。

でも、ご本人は全然そんな気はなくて「いや、約束したのだから、いつか買ってやるつもりだ」と考えている。

これが「約束」ということです。

もしも、そうではなくて、先生と娘さんとのあいだでアルバイトの協定を結びまして、何かお手伝いをしたらブーツを買ってやると条件を付けましたら、娘さんは黙っていないでしょう。

どんなに先生が忙しかろうと、法的取り決めに従って、断固要求するはずですね。

しかし、このブーツの件は、そういう取り決めではありませんでしたから、パパを信じて、黙って待つしかない・・。

「律法によって」ではなく「信仰によって、神からの約束に生きる」というのは、そういうことなんだと言われます。

神様の側から、思いもよらぬ、まったくの恵みの、ご好意のプレゼントが約束された。

それは、こちら側のいかなる条件にもよらないものです。

お手伝いをしたからもらえるでもなし、逆に、さぼったからもらえないでもない。

まったくの恵みで約束してもらったことを、ただ信じて、待っていればいいのです。

しかも神様は、榊原先生のようないい加減なパパではなく、必ず約束を実現してくださる頼もしい父ですから、信じるに値するのです。


共に祈りましょう。

天の父よ、私のことを、まさしく無条件で愛して下さるあなたのご好意に、改めて感謝をします。御子をくださったあなたが、その他のすべてのこともくださるに違いありません。今日もあなたの恵みを信じています。


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