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2019. 04. 25  
次の主日に分かち合うルカ24:13-35の「エマオ途上」の物語を思い巡らしています。

主イエスの十字架の死に絶望し、失意のうちに離れていこうとした二人の弟子が、復活された主に出会い、信仰を回復されるという物語です。

印象的なのは32節。主イエスが生きておられることを悟った二人が、回想します。

さっきのさっきまで、私たちと共に時を過ごしてくださった方は、確かに主イエスだ!!

だって、あの方が道で話してくださった時、そして聖書を解き明かしてくださった時、「わたしたちの心は燃えていたではないか!!」と、彼らは言いました。


「心が燃える」、私たちもまた、それを求めているのでしょう。

若い方々と共にキャンプをすると、最終日には、私自身が心燃やされて、元気になります。そういう意味では、奉仕と言いながらも、自分のために行っているのかもしれません。

もちろん、年令は関係ありません。礼拝が始まる前は、肩で息をするようだった方が、御言葉をいただいて心燃やされて、輝くような顔で家路に着かれる姿に、何度も励まされてきました。

私たちは、心が燃えることを求めているのです。心を燃やしてほしいのです。


同じような表現がマタイ26:41にあります(原語は違います)。

「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

確かにそうです。心は燃えても、肉体が弱い。そのことを痛感する。

だからこそ、いつも心を燃やしていてほしいのです。すぐに、暗くなってしまう自分を知っているから。


エレミヤ20:9もまたおもしろいです。

預言者エレミヤは、神の言葉をただしく取り次ごうとするゆえに、人々から反発され、命さえ狙われます。

だから、もう何も語りたくない。人々から遠ざかり、沈黙して過ごしたいと願う。

でも、そうして「語るまい」と思っても、主の言葉が、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がるのだと、言うのです。

燃えて燃えて、もう押さえつけておくことはできない。だから、語り出すよりない。


私が、そのようにして語り出すことができるように、どうか説教者のために祈って下さい。

そして、皆さんの心に、主の命の炎が引火し、燃え上がるように、期待し、求めて、お祈りください。


共に祈りましょう。

主よ、心を失いそうな慌ただしい日々の中ですが、昨晩も、休息を与えてくださって感謝します。週の後半の歩み、肉体の弱さを抱えて生きるひとりひとりを、どうか守り支え、霊の命を注いでください。
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