FC2ブログ
2019. 04. 26  
昨日に続き、ルカ24章の「エマオ途上」の物語から思い巡らします。みんなで共に、明後日の説教の準備をしましょう。

この物語のクライマックスは、二人の弟子の目が開かれて、主イエスだと分かるという31節です。

この「開かれる」という言葉は、ルカさんの好きな言葉遣いです。

ルカ2:23「母の胎を『開く』男子(新共同訳:初めて生まれる男子)」

同じくルカが作者である使徒言行録の7:56では、「天が『開いて』、人の子が神の右に立っておられるのが見える」とステファノが言います。

新しい生命の誕生、そして、神の永遠の世界との邂逅が、「開かれる」という言葉で表されます。


「目を開かれる」ということは、当然そういうことと関係することでしょう。

同じルカ24章の、この後の45節には、弟子たちに聖書を悟らせるために、主イエスが彼らの「心の目を開いた」とあります。

使徒言行録16:14にも、主がリディアという婦人の「心を開かれた」ので、彼女は使徒パウロの言葉を注意深く聞くようになった、とあります。

おやおや?この2箇所には、共通項がありますね。

どちらも、「聖書」や「使徒の言葉」に込められた福音を理解することとつながっているようです。

そして、大変面白いのが、もう1箇所。ルカ24章32節。

二人の弟子が、「あの時、心が燃えていたじゃないか」と回想するところ。

そこで「聖書を説明してくださったとき」とあります。この「説明する」が、「開く」という言葉なのです。

これは、どういうことなのでしょう?皆さんそれぞれに思い巡らし、主日礼拝に臨んでください。私もまだ、語るべき言葉を待っているところです。


共に祈りましょう。

主よ、今朝は曇っています。でも、私の目を開いてくださって、あなたから注がれている命の光を悟らせてください。今日の日を、賛美と感謝と喜びをもって、朗らかに歩ませてください。この心が、無限に広やかになりますように。

スポンサーサイト



NEXT Entry
主の2019年4月30日に
NEW Topics
2019年10月18日 あなたも同じことをしている
2019年10月17日 弁解できない
2019年10月16日 人類の罪
2019年10月15日 石川ヨナライブにて
2019年10月11日 イザヤ51:4-5
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR