FC2ブログ
2019. 09. 10  
先の主日は使徒言行録21:1-16の記事を分かち合いました。

ギリシアの教会からの献金をエルサレムへと届けに行こうとするパウロと、それを引き止めようとする人々のせめぎあいが記されてました。

いつの時代でも、誰かが困難なミッションに進もうとする時に、こういう問題は起こります。

行けば必ず、投獄と苦難の将来が待っている、それが聖霊のお告げでした。

だから、周囲の者たちは引き止めます。どうか、無理をしないでくれ、と。

しかしパウロは、「主イエスの名のためならば、死ぬ覚悟もできている」と、決して譲りません。

苦難が待ち受けていようとも、いやむしろ、苦難の道であるからこそ、それを選ぼうとしているようです。

それはきっと、かつてイエス様がそうされたからだと思います。

誰も味わったことのない絶望と苦しみがあると分かっていながら、それを引き受けて、十字架の苦難の道に進まれました。

イエス様が、私の救いのために十字架を背負われたから、私も、私の十字架を背負う・・。

クリスチャンというのは、そういう行動原理に生きる、不思議な人種です。


死ぬことさえ覚悟して、無謀なミッションに取り組む。そのこと自体が尊いとは、私は思いません。

地上の生命もまた大切です。かつての日本の特攻隊のような精神論を、決して教会に持ち込んではなりません。

でも、感情的でもなく、盲目的でもなく、非常に冷めた心で、祈りに祈って、考え詰めて、それでもやっぱり、突き動かされるように、苦難の道に進んでいくということがあるのだと思います。

それは、私たちがクリスチャンだからです。

キリストの十字架の愛によって、生かされている者たちだからです。


共に祈りましょう。

主よ、十字架の主イエスこそ、我が主、我が救い。死の陰の谷を行く時も、主が共にいてくださる。だから、私も主と共に歩んでいきたいと願います。主よ、今日も進むべき道を示してください。

スポンサーサイト



NEXT Entry
2019年9月11日 主の御心がなりますように
NEW Topics
2019年12月13日 マラキ3:19-25
2019年12月12日 マラキ3:13-18
2019年12月11日 マラキ3:6-12
2019年12月10日 マラキ2:17-3:5
2019年12月6日 マタイ3:7「差し迫った神の怒り」
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR