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2019. 09. 17  
先主日に分かち合った使徒言行録24:16の、パウロの言葉を振り返っています。

「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」

「責められることのない良心を絶えず保つ」、言い換えれば、後ろめたさのない歩みをする。

これがパウロの人生の指針であったことでしょう。

とはいえ、それが不可能だということも、一番知っていたのはパウロだったはずです。

良心、これはやっかいなものです。

自分には責められることはない、自分の主張は絶対に正しいと確信するなら、その瞬間から何かがわたしたちのうちで壊れ始めます。

自分が正しいと思いこんでいる人ほど、恐ろしいものはありません。


でも、多くの場合、そういう状態になっている人は、自覚がありません。

今もこれを読んでいたとしても、「そう、あの人のこと!!」とは思っても、自分のことだとは思わないことでしょう。

かくいう私自身が、他者から見れば、自分の主張を押し通そうとする恐るべき者に映っているかもしれません。

みんなが、みんなが、主の御前で、そのことに気付けたら・・・。


共に祈りましょう。

主よ、願わくは、私たちが気づかずに犯している罪から離れさせてください。盲目な私の願いではなく、あなたの御心がなりますように。そして、私たちに愛をください。
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