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2019. 11. 05  
先の主日は、ローマ3:21-26という、ローマ書の中心とも言える箇所を分かち合いました。

その23-24節「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」という言葉が、深く心にとどまっています。

「無償で」とある言葉。これは、割合珍しい語です。

「無報酬で」働く(Ⅱコリント11:7)、「ただで」パンをもらう(Ⅱテサロニケ3:8)などの用例があります。

また、「人々は『理由もなく』私を憎んだ。(ヨハネ15:25)」というように、「何の根拠もなく、理由なく」という意味もある。

マタイ10:8では、弟子たちに対して「病人をいやし、死者を生き返らせ、悪霊を追い払いなさい」と命じられた後で、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と命じられます。

この「ただで」という言葉がそうです。

この場合は、「ただで」いただいたのは何かというと、神の「賜物」としての聖霊です。

同じように、神の「賜物」としての「聖霊をいただく」という風に用いられているのは、ヨハネ4:10、使徒言行録2:38、8:20、11:17、エフェソ3:7と多いです。

こういうことから考えて、「神の恵みによって無償で義とされる」とは、神の「賜物=プレゼント」として「聖霊」をいただくということが、中心にあることが分かります。

私たちには、自分で自分を救うことも、正しく整えることもできませんが、内なる聖霊をいただくなら、すべては変わります。

説教の中で分かち合った様な、信じがたい悔い改めの出来事や、人間の変化ということが起こります。

「生命の与え主(ニカイア信条)である「聖霊」の力は、想像を絶します。


共に祈りましょう。

私たちの内に生きていてくださる聖霊よ、あなたの恵みの導きによって、今日も信仰と希望と愛を満たしてくださり、倒れている者をも恵みによって起こしてください。
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