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2020. 01. 28  
先の主日には、創世記3章のアダムとエバの堕落の記録を分かち合いました。

堕落の前の彼らはどういう様子であったか、一言でいえば、神の祝福に満ち足りていました。

何不自由なく、神からすべてを用意され、母の腕の中の幼子のように心を注がれ、安らぎを覚えていました。

はじめの人間は、とても素直に、純朴に、幼子のような信頼をもって、神とお付き合いをしていました。

そういう姿を、皮肉をもって見つめていたのが蛇です。

蛇は「賢い」とされます。それは、幼子のような純朴さの反対です。

世慣れて、心がすれて、ひねてしまって、斜に構えてしまった人の用意周到さとか、腹黒い感じ・・それが、ここでの「賢い」ということです。

そういう人は、純朴な信仰者を見るとイライラするのですね。

「信じていれば大丈夫だなんて・・、よくもそこまで愚かでいられるものだ・・」

「教会の人間は常識がない。甘い。そんなのでは世間で通用しない。現実はもっとシビアだ・・」

そういう風に、大人の、賢い意見が、教会の中でも交わされます。

そういう賢さが、必要な時もたくさんあります。

イエス様も、迫害を予告しながら、「だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい(マタイ10:16)」と言われました。

今は、エデンの園とは違う、生き馬の目を抜くような厳しい罪の現実を生きねばなりませんので、「蛇のような賢さ」も必要です。

でも同時に、「鳩のような素直さ」や、「幼子のような純朴さ」も、薦められていることを覚えたいものです。


共に祈りましょう。(詩編131篇に基づいて)

主よ、わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします。主よ、あなたを待ち望みます。今日も必要なすべてを備えてくださり、私に平安を与えてください。
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