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2020. 03. 11  
アブラハムは「信仰の父」として理想化されてきた面がありますが、聖書に示されているその姿はもっと人間臭いものです。

私たちの誰もが抱える「不信仰」の姿をも映し出すような、「不信仰の父」でもあると私は思っています。

創世記17章は、90歳の妻サラが子を産むことになるという、あきれるほどの驚きの約束が初めて与えられるところです(17:15)。

最初の出発の時から、「あなたを大いなる国民の父とする」との神の約束がありました。

でも、その時点でアブラハムには子がありません。しかも、すでに75歳です。

しかし約束を信じて旅立った。そこが「信仰の父」たるゆえんです。でも、そのあとの15章が興味深い。

「恐れるなアブラムよ、あなたの受ける報いは非常に大きい」と語りかけられる主なる神に対し、ブツブツ文句を言っているアブラハムがいます。

「・・主よ、報いが大きいって言いますけど、何をくださるっていうのですか?あなたは結局、私に子どもを与えてくださらないじゃないですか。だから家の僕のエリエゼルに跡は継がせますよ・・」と、つぶやくのです(15:2,3)。

そして17章でも、驚きの約束に面食らってしまって、思わず笑ってしまうというアブラハムの姿が描かれています(17:17)。

「100歳の男に子どもが生まれるだろうか。90歳のサラに子どもが産めるだろうか。そんなバカな話・・・」とつぶやいて、

「いや、神様、そんなことはもう望まないので、今与えられているイシュマエルを健やかに成長させてください。イシュマエルが与えられたことで、もう充分ですから。そんなバカな話は、もうやめにしましょう・・」と、まるで神様を諭すかのように言うのです(17:18)。

これが、私たちの「不信仰の父」であるアブラハムの等身大の姿です。

でも、そうやってあきれるアブラハムに、主はあきれられることなく、ご自身の偉大な力を少しずつ体験させながら、「信仰の父」として恵みによって育てていかれるのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちもまたあなたを小さくしてしまうものです。そんな無茶な・・とつぶやきながら、現実的であれと互いに求めあい、あなたと共に夢を見る力さえ失っていきそうな、不信仰の子孫です。主よ、信じます。信仰のない私たちを助けてください。今日もそれぞれの現実の中で、あなたの大いなる救いの力を体験させてくださって、私たちの貧しい心を開いてください。
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