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2020. 06. 05  
次主日は、ローマ1:16-17を分かち合います。ここは、この手紙全体の心臓のようなところです。

「わたしは福音を恥としない」とパウロは言います。地中海世界・ギリシャ文化は、恥の文化という面があり、とりわけ身分の高い人たちは名誉を重んじました。

そういう文化にあって、十字架による極刑の死は、ぬぐいがたい恥でした。

ユダヤの人たちにとってもそうでした。十字架で「木にかけられた死体」は、神に呪われていると考えられていたのですから(申命記21:23)。

そんな恥ずかしい十字架処刑者を、自分の主とするなど、考えられない。

ましてや、そこから復活したなどという荒唐無稽な話は・・・と、アテネの知識人たちに鼻で笑われたということも使徒言行録17章にありましたね。

でも、そこを割り引いてしまっては「福音」ではないのです。

だから、小細工せずに、アレンジせずに、逃げも隠れもせずに、ありのままに伝えます。それが、恥としない、ということです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたにとって私たちは、恥ずべき存在であることでしょう。わたしたちのような貧しい者の創造者であり、父であると名乗ることは、恥ずべきことでしょう。あんな愚かな者たちのために、お前は命をささげたのかと、主イエスは笑われなかったでしょうか。しかし、あなたは、私たちを恥とせずに、宝として扱ってくださいました。主よ、感謝します。私の救いのためにあらゆる辱めを受けてくださったイエス・キリストに、栄光が限りなくありますように。
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