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2014. 01. 07  
日曜日は「よきサマリア人」のたとえを分かち合い、愛の業に生きるための心を学びました。

隣人を自分のように愛する。この隣人愛こそ、聖書の教えの中心です。

では、私にとって「隣人」とは誰なのですか?誰を愛せばいいのですか?

こういう問いに対しイエス様は、「よきサマリア人」のたとえを語られました。

血まみれで倒れている旅人を見捨てていく人たちと、危険もかえりみずに旅人を助けて介抱したサマリア人・・・。

そして、イエス様は言われました。

「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。(ルカ10:36)」

大事なのは、「隣人になった」のは誰だと思うかと、言っておられることです。

イエス様への質問は「私にとって隣人とは誰なのですか?」でしたが、イエス様は、そんな問いは無視されます。

だれを愛せばいいのか・・・、そんなことを考える前に、いつでもまずあなた自身が、誰かの「隣人になる」ことを考えなさいと言われているのです。



共に祈りましょう。

主よ、愛することに決定的に貧しい私たちをお赦しください。今日、誰かの「隣人になる」べき時には、私のわずかな時間や体や財産をあなたに用いていただくことができますように。

また主よ、病んでいる者のための祈りを、愛の業として用いてください。また、病んでいる者のささげるとりなしの祈りを、愛の業として用いてください。
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