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2015. 01. 15  
「我は、その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」

「イエス・キリスト」を「主」とする信仰ということを考える時に、思い出すのはガラテヤ6:17の御言葉です。

「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。」


昔、奴隷の額か腕に、その所有者の紋章を焼きつけて、所有者のものであるしるしとしました。

パウロが身に受けた「イエスの焼き印」とは、具体的には、迫害によって受けた体の傷跡のことでしょう。

ガラテヤ教会を扇動した反対者たちに対して、「私を煩わせるな。どれだけ私の福音伝道を邪魔しようとしても、私は屈しない。」と宣言しています。

なぜなら、私はキリストの焼き印を身に帯びているからだ、と。

「私には大切なことはただ一つより無い。他のすべてのことは、この一つに比べれば大切ではない。何事でも、私にこの大切な一事を捨てさせ、思いあきらめさせることはできない。それは、私がイエス・キリストの僕であり、私がキリストのものであるということである。そのしるしの焼き印を、私は体に押されている。この焼き印が終生私の体から消えないように、私はキリストのものであり、キリストの僕である。(田中剛二「ガラテヤ書講義」より」


共に祈りましょう。

主よ、私の所有者よ、私の支配者よ。私を私以上に知ってくださり、大切にしてくださるあなたに、今日も私のすべてをおゆだねします。いよいよ、あなたの御心と一つにしてください。
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