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2015. 01. 16  
「我は、その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」

昨日読んだ書物から、考えせられたことを分かち合います。

人間が生涯問い続けるのは、人間とは何か、私とは何ものか、ということでしょう。

自分とは誰か。どこで自分は望みをもって自分であり続けることができるか・・。

聖書の言葉で言えば、どこで自分は、真実に、自分を愛することができるのか・・。

自分自身に対して、絶望してしまう時が、人間にはあります。

絶望してしまって、自分を見捨てて投げ出すか・・・、あるいは、まるで決死隊のように、絶望的に自分自身に閉じこもり、誰の言葉にも耳を貸さずに突撃をしようとするか・・・。

その絶望の淵で、なお自分を捨てず、自分を生かしきる・・、それはもう決して自分自身では不可能なことです。

その絶望している私自身を、まるごと創造された方である、神に信頼するよりありません。

そして、その絶望している私をも、なお愛おしみ、「ご自分のもの」として大切にしてくださる、イエス・キリストを信じることです。



「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ローマ14:8)」



共に祈りましょう。

主よ、今、絶望の淵に立たされている者を憐れんでください。罪の悲惨の現実にもがいて、苦悩している者を、十字架の愛で覆ってください。私のこの一日を、あなたが生かしきってください。
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