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2015. 02. 03  
先の日曜日には、こういう御言葉が与えられました。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。(マタイ16:24,25)」

「自分を捨て、自分の十字架を背負う」とは、イエス様に従いきろうとする、根本的な構えのことです。

自分がどうしたいかではなく、イエス様がどうしろと願っておられるかを、中心とする。

イエス様の愛に生きる。平和を造る。正義を伝える・・・。

そうやって、主に従って歩もうとすれば、肉体の生命が危険にさらされることもあります。

神は、独り子が十字架で苦しみ死ぬのを見て耐えられたように、信じる者が、苦しみ死ぬのを見て、その悲しみを耐えておられる時があります。

死を与えないでほしいと、私たちは祈ります。しかし、死が与えられます。そこには神の神秘があります。

御心が分からなくて、私たちは肩を落とします。しかし、聖書にはっきり示されているのは、その死は終わりではないということです。

肉体の生命は失われます。しかし、「命」を得るのです。

「命」とは、存在そのものと言ってもいいのではないでしょうか・・。

神のかたちとして創造された、一人一人の固有の存在、その本来の尊厳が輝きだすのです。その「命」は永遠の次元に通じます。・・永遠の存在となるのです。

そしてその「命」は、後に続く者たちをも生かすのです。・・突き動かすのです。


共に祈りましょう。

主よ、十字架の死の向こうに復活の朝が開かれます。その希望を、はっきりと教えてください。主よ、主イエスよ、私たちを、あなたと共に十字架に死なせ、あなたと共に復活させてください。


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