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2015. 02. 04  
一昨日読み終えた書物にあったエピソードを紹介します。

かつて東ドイツという国がありました。人間が人間として扱われない国でした。

そんな国の中で、キリスト教信仰に生き続けることは、すさまじい戦いでした。それでも、人々は信仰を捨てることはありませんでした。

なぜでしょう?・・・それはやはり、イエス・キリストが唯一の希望だからでしょう。

その国では、9歳から軍事教育が始まりました。

それに抵抗する10代のキリスト者たちとの語り合いの思い出を、著者は記憶していました。

彼らが、自分たちの抵抗運動について討論する言葉を傾聴しながら、ひとつ質問したそうです。

学校当局ににらまれ、大学入学資格を奪われる危険にさらされながら、どうしてなお教会堂に集まり、誠実に信仰を貫こうとするのか・・・。

しばらく、沈黙があったそうです。

やがて、一人の少年がぽつりと言いました。「教会に来ると、ここだけが、ぼくを人間扱いしてくれるような気がするんです。」

国家に役立つ歯車ではなく、ただ人間として尊ばれる・・。

神に創造された尊厳ある存在として、そして、独り子を与えていただいたほどに神に愛されている、大切な存在として、自分自身を取り戻す。

それが、「命」を得るということなのでしょう。教会とは、そういう「命」に満ちた場なのでしょう。

昨日の御言葉を繰り返します。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。(マタイ16:24,25)」


共に祈りましょう。

主よ、あなたこそ私たちの希望。あなたを知ることがゆるされ、あなたに知っていただいている私は幸いです。今日、信仰の戦いに直面する者たちの「命」を豊かに燃やしてください。
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