FC2ブログ
2015. 02. 17  
使徒言行録を学んでいます。「十字架につけられ、死にて葬られ・・・」

イエス・キリストが、私たちのために犠牲になり、私たちの罪の身代わりに、十字架にかかって死んでくださったと、私たちは信じます。

私という、罪深い存在を、完全に引き受けてくださったとも言えます。

昨日、黒澤明監督の「羅生門」という映画を見ました。自分勝手で、自分をとりつくろうことから逃れられない、人間の「さもしさ」が扱われていました。

そういう「さもしさ」のことを、聖書では、罪と言います。

そういう「さもしい自分」を認めることは、とてもとても苦しいことです。苦しくなければ嘘です。そして、泣きたくなるほど悲しいことです。

でも、その悲しみこそが必要です。それこそが、パウロの言う「神の御心にかなった悲しみ」であり、「救いに通じる悔い改めを生じさせる」ものです(Ⅱコリント7:10)。

そういう自分を本当に悲しむことができたのなら、もうそれで十分です。それ以上、自分の罪をほじくりかえして、自分をいじめても仕方ありません。それは自己憐憫に過ぎません。

そうではなく、十字架を見上げるのです。主は、そのあなたのために、あなたの代わりに死んでくださいました。あなたは、赦されています。


「打ち砕かれ悔いる心」をもって、共に祈りましょう。

神よ、わたしを憐れんでください。御慈しみをもって、深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください。・・・わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。・・神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。(詩篇51篇より)
スポンサーサイト



NEXT Entry
2015年2月18日 イザヤ1:4-6
NEW Topics
2019年10月18日 あなたも同じことをしている
2019年10月17日 弁解できない
2019年10月16日 人類の罪
2019年10月15日 石川ヨナライブにて
2019年10月11日 イザヤ51:4-5
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR