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2015. 04. 25  
<田中剛二「応えられざる祈り」より、抜粋>

祈りが聴かれなかったために、信仰を失ってしまった一人の婦人について、

「彼女は祈りについての誤った教えの犠牲者だ。彼女は神を信ずる代わりに、祈りを信じていたのだ」と言った人があります。

まことに味わうべき言葉ではありませんか。

祈りを信ずる者は、祈りが失敗するとその信仰を失います。当然です。

しかし神を信ずる者は、祈りが応えられない時に、一層深く神の御意志を思い、そこに訓練され、謙虚にされ、従順にされ、忍耐と希望をもって飾られるでしょう。

また、応えられないことこそが、大きな応えであるのだということを、深い慰めと希望のうちに告白して、栄光を神に帰するでしょう。

****
今週一週間、応えられない祈りについて、深く思い巡らしてきました。

今、私の心には、あのダニエル書の言葉が浮かんでいます。迫害を受け、金の像を拝めと強要された三人の少年が、ネブカドネツァル王に敢然と言い放った言葉です。

「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことがおできになりますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。(ダニエル3:17-18)」

「そうでなくとも・・・」それは、「祈りが応えられなくとも・・」に通じます。

神を信じるというのは、そういうすさまじいことなのでしょう。


共に祈りましょう。

主よ、私たちに揺るがぬ信仰をください。祈りが応えられず挫けそうになっている私たちの、信仰を大きく深く広く高くしてくださって、新しい祈りを引き出してください。
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