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2015. 05. 22  
昨日、姉妹方と読書会で、カルヴァンの「信仰の手引き」にある、祈りについての教えを分かち合いつつ、ダニエル書9:1-19節の、ダニエルの祈りに心を合わせました。

それは、私たちの持つ祈りのイメージとは全然違うかもしれない、自らの民族の罪をとうとうと想起し、「わたしたちがダメだったのです・・・」と、ただひたすらに、神に向き合い、自分に向き合って言葉をつむいでいました。

「祈りとは、こういうことでもあるのですね」という発見があったようです。

祈祷会での共同の祈りや、礼拝での祈りなどの、形式にとらわれてしまうと、祈りの本質を見失ってしまうかもしれません。

「祈りとは、神と私たちとの間の語り合いのようなもので、これによって私たちは神に、自己の願い、喜び、嘆き、要するに心の思いのすべてを申しのべるのである」と、カルヴァンは教えてくれます。

「心の思いのすべて」をさらそうとすると、ダニエルのように、「わたしはダメです・・、ごめんなさい」という言葉ばかりになってしまう時もあるかもしれません。

すべてを知っておられる神の前では、それでいいのです。

そして、そうしてすべてを申しのべると、神様に願わざるを得なくなると思います。赦してください。助けてください、と。

ダニエルもそうでした。今朝、共にこの祈りに心を合わせましょう。

「わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、耳を傾けて、お計らいください。わたしの神よ、ご自身のために、救いを遅らせないでください。(ダニエル9:18,19)」
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