2015.
05.
26
昨日はじめて、日曜学校の教師の姉妹たちとの、平日の学び会をしました。
これから毎月一回、継続していきたいと願っています。お祈りで支えてください。
上から「こうあるべき」と押し付けるだけの教育ではなく、イエス様の大きな赦しの愛の中で、子どもたちと痛みを分かち合い、励ましあう、そんな関わり方をしていきたいのです。
教師自身の抱えている、疑いや迷いや、イエス様に従いきれぬ弱さをさらしつつ、でも、その私をイエス様は赦してくださったという喜びと、今より後イエス様のために生きたいと願う小さな決断を、子どもたちに豊かに証しさせていただきたいと願います。
何より、神さまの子どもとしていただいたことの喜びを、豊かに証しできる教師になりたいのです。
あの放蕩息子が、父に抱かれた時の喜びと平安ですね。
こんな私が、神の目にかけがえのない子として、ただ愛されている。
まことにかたじけない、ありがたい・・・、この喜びが、「私も、父を愛したい。父の喜んでくださることをしたい。」との熱心を呼び起こします。
この愛し愛される神との親子関係の喜びが、子どもたちの人生のすべての時間を、強く支える軸となることを信じます。
「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。(ヨハネの手紙Ⅰ3:1)」
共に祈りましょう。
天のお父様、あなたの子とされる資格のない私に、走りよって、抱きしめ、接吻してくださるあなたの愛の中で、今日も朗らかに歩ませていただきたいと願います。あなたの子として、あなたの喜びに仕えることができますように。また、愛する子どもたちに、この「あなたの子とされる」喜びを、証しできますように。
これから毎月一回、継続していきたいと願っています。お祈りで支えてください。
上から「こうあるべき」と押し付けるだけの教育ではなく、イエス様の大きな赦しの愛の中で、子どもたちと痛みを分かち合い、励ましあう、そんな関わり方をしていきたいのです。
教師自身の抱えている、疑いや迷いや、イエス様に従いきれぬ弱さをさらしつつ、でも、その私をイエス様は赦してくださったという喜びと、今より後イエス様のために生きたいと願う小さな決断を、子どもたちに豊かに証しさせていただきたいと願います。
何より、神さまの子どもとしていただいたことの喜びを、豊かに証しできる教師になりたいのです。
あの放蕩息子が、父に抱かれた時の喜びと平安ですね。
こんな私が、神の目にかけがえのない子として、ただ愛されている。
まことにかたじけない、ありがたい・・・、この喜びが、「私も、父を愛したい。父の喜んでくださることをしたい。」との熱心を呼び起こします。
この愛し愛される神との親子関係の喜びが、子どもたちの人生のすべての時間を、強く支える軸となることを信じます。
「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。(ヨハネの手紙Ⅰ3:1)」
共に祈りましょう。
天のお父様、あなたの子とされる資格のない私に、走りよって、抱きしめ、接吻してくださるあなたの愛の中で、今日も朗らかに歩ませていただきたいと願います。あなたの子として、あなたの喜びに仕えることができますように。また、愛する子どもたちに、この「あなたの子とされる」喜びを、証しできますように。
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