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2015. 09. 02  
耳をすまして神様の御声に聞くこと。これこそが、祈りということの基本的な姿勢といえます。

以下は、山浦玄嗣さんの「『なぜ』と問わない」という本より教えられたことを紹介します。

日本語において「祈る」とは、神仏の力にすがって自分に都合がいいことを願うという行為を指します。

古くには、「祈り殺す」などという言葉もあり、呪うと同じような意味さえ持ちました。

聖書において「祈る」と翻訳されるのは、四つのギリシャ語です。

1つは、エウロゲオー。これは、「神様はすばらしい!!」とほめる、賛美する。

2つは、エウカリステオー。与えられた様々な恵みを「ありがたい」と感謝する。

3つは、デオマイ。これが一番日本語の感覚に近い。「〇〇してください」と願う。

最後は、プロセウコマイ。これが一番多く用いられています(85回)。イエス様が山に祈りに行かれる時などです。

面白いことに、そういう箇所を、日本語の先入観を捨てて改めて読んでみると、「祈る」といっても何をしているのかはっきり分からないことの方が多いのです。

それはお願いというよりもむしろ、人間の雑音からしばし離れて、「一生懸命に神様のお声に心の耳をすます」というのが、プロセウコマイの第一義のように思います。(続きはまた明日)

「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ1:35)


共に祈りましょう。

主よ、今日の一日も、あなたと共に歩ませてください。騒ぐ心を静めてください。あなたが用意しておられる、あなたの目にもっとも良いことが、今日もなされますように。
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