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2015. 09. 03  
聖書において「祈る」とは、第一義的に、「一生懸命に神様のお声に心の耳をすます」ということだろうと、昨日確認しました。

そういう風に考えると、例えばマルコ11:24なども、今までとは違う響きをもってきます。

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」

こういう言葉から、「願いどおりにならないのは、自分の祈り・信仰が足りないからだ・・・」と苦しい思いをされていませんか。

しかし、いくらお願いしても、うまくいくことばかりではないのです。

では、イエス様がウソをついているのかといえば、そうではなく、「祈る」ということについての私たちの理解が浅いのです。

むしろ、ここで「祈り求める」というのは、「神さま、あなたの御心とひとつにならせてください。私が今何をなすべきか、あなたが何をおっしゃりたいのか、私に分からせてください」と、求めることかもしれません。

そういうふうにして「祈り求める」ことは、必ずすべてかなえられる。

そのようにして、神との関係をしっかりと確立し、「神を信じなさい(マルコ11:22)」と、主は招いておられます。


共に祈りましょう。

主よ、今日も御前にひざまずき、私の創造主であり救い主であるあなたに、聞き従いたいと願います。主よ、あなたと共に歩ませてください。そこに私の平安があります。あなたの御心を行うことができますように。
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