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2015. 12. 05  
明日は小会において、ある方の洗礼の試問会が行われます。お祈りに覚えてください。
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明日の説教の準備をしながら、「待つ」ということを考えていました。

マタイ24章に記された「世の終わりの時」についての深遠な教えに、これから私たちは取り組もうとしています。

その意味では、「待つ」というのは、終わりの時の慰めの成就を待つということでしょう。

この世界が終る時に、イエス様が再び来てくださって、地上のあらゆる涙をぬぐいさってくださる。

すべての罪を、悪を、争いを取り除いてくださって、神の愛と平安に満ちた神の国を完成してくださる。その約束を信じて、希望をもって待つのです。

信仰において「待つ」ことは本質的なことです。

教会の営みにおいても、個々人の生活においても・・・ともすると、人間の思いが先走り、私たちはあれこれ焦ってしまいます。

そして思うようにならずにガッカリしたり、傷つけあったり・・・。

力を捨てて、神の御業が現れるのをじっと「待つ」ということの大切さを、見失わないでいたいと、しばしば思います。


詩編39:6-10の祈りに合わせて、共に祈りましょう。

「御覧ください、与えられたこの生涯は、僅か、手の幅ほどのもの。
 御前には、この人生も無に等しいのです。
 ああ、人は確かに立っているようでも、すべて空しいもの。
ああ、人はただ影のように移ろうもの。
 ああ、人は空しくあくせくし、だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
 主よ、それなら、何に望みをかけたらよいのでしょう。
 わたしはあなたを待ち望みます。
 あなたに背いたすべての罪からわたしを救い、神を知らぬ者というそしりを受けないようにしてください。
 わたしは黙し、口を開きません。
 あなたが計らってくださるでしょう。」
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