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2016. 02. 18  

以前に、こんなことをご質問いただいたことがあります。「悪いことが続く時には、どのように考えたらいいのですか?神様の罰が与えられるということはあるのですか?」

皆さんならどうお応えになるでしょうか。

すべては神の恵みの摂理であって、万事が私たちの魂の救いのために益とされる。これが究極のところの真理であって、前提です。

この前提の上で、そういう神の恵みとして、「懲らしめ」ということがありうると、聖書は教えています。

それは、罰が与えられたという風に考えるべきではない。

神が、何かを気づかせようとして、与えられる「懲らしめ」なのです。

Ⅰコリント11:31にこういう御言葉があります。

「わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。」

自分を「わきまえる」、というのは、自分の罪を正しく認めるということです。正しく「わきまえる」なら裁かれません。

「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。(Ⅰヨハネ1:9)」とあるように、自分を罪人とわきまえているなら、主イエスの救いにあずかります。

そういう意味で、「滅びに定められる裁き」はありません。それは、十字架の主が引き受けてくださいました。

でも、罪に呑み込まれたまま、神と自分自身にちゃんと向き合おうとしないままなら、「懲らしめ」として裁かれることがあります。

主は、精神的にも身体的にも、色んな痛みを通して、私たち自身を「わきまえる」ことへと導いてくださいます。大切なことを失っていることに、気づかせてくださるのです。

私自身、今そのことに深い悔い改めを覚えさせられています。


共に祈りましょう。

十字架の主よ、あなたのもとで裁きは祝福に変わり、神の怒りは懲らしめの愛へと変えていただいたことを、心から感謝します。主よ、あなたからの問いかけを覚えます。自分自身を見つめ直し、あなたとの関係をもう一度確かにすることができますように、聖霊のお導きを与えてください。
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