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2016. 03. 10  
ゲツセマネの祈りにおけるイエス様の御苦しみについては、はっきりと聖書が記していますから、みんな考えます。

しかし、その祈りを聞いておられた父なる神の苦悩について、考察している人はあまりいないようです。

私の乏しい知識の限りでは、そのような考察は聞いたことはありません。その理由としては、聖書がそのことについて沈黙しているからでしょう。(※ また、教理史的には、御子ではなく父なる神ご自身が十字架にかかられたのだとする「天父受苦説」という異端に近づくことへの警戒があるのでしょう)。

聖書が沈黙していることを大きく扱うのは、私のいつもの流儀ではありません。

しかし、今回の解き明かしに際しては、どうしてもその黙想から離れることができませんでした。

たとえば、あの創世記22章で、アブラハムが神の試みによって息子イサクをささげようとする時に、教会が考えてきたのは、アブラハムの苦悩です。

実は、そのことについても聖書は沈黙しています。でも、先人たちは、アブラハムの苦悩を考えずにはおれなかった。

最愛の息子をささげようとするということの、筆舌に尽くしがたい葛藤を思わずにはいられなかったのです。

あの時、結局アブラハムは、イサクをささげなくてすみました。あの時神は、「あなたはわたしのために息子さえ、あなたのひとり子さえ、惜しむことをしなかった。(創世記22:12)」とおっしゃって、アブラハムの信仰と従順を認めてくださいました。

しかし、私たちの罪の赦しのために、ひとり子さえ惜しむことをしなかったのは、本当は父なる神ご自身なのです。

そこにどれほどの葛藤と苦悩があったことでしょう。

「できることなら、この杯を遠ざけてください・・」と訴える、ひとり子の祈りを、胸がつぶれる思いで聞いておられたのではないでしょうか。

しかし、それでもなお、父なる神は、私たち罪人を救おうとするご意志を変えることなく、救いの計画を全うされました。

それが、神の示してくださった、契約に対する真実です。

Ⅰヨハネ4:10「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」とは、その深みにおいて理解すべきでしょう。


共に祈りましょう。

主イエス・キリストにおいて、私たちの父ともなってくださった父なる神よ。御子を与えてくださったあなたの愛を、ただ信頼いたします。私もまた、あなたへの信頼と従順に、誠実を尽くすことができますように。
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