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2016. 03. 22  
イザヤ書53章の「苦難の僕の歌」を分かち合っています。神ご自身が、十字架の意味を教えてくれている言葉です。

53:7「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。」


苦難の僕であるイエス・キリストは、ユダヤの指導者たちによる裁判で、不当な裁きを受けて死刑とされます。しかし、それを黙って受け入れられました。

「イエスは黙り続けておられた(マタイ26:63)」と書いてあります。

総督ピラトの下での裁判でも、どんな不利な証言にも黙っておられるので、「総督は非常に不思議に思った(マタイ27:14)」とあります。

その後も、人々に愚弄されても、なぶられても、口を開かず、黙って十字架へ向かう「小羊」イエスの沈黙を、福音書は記します。

私は、このような主イエスの沈黙を考える時に、いつも思い出す御言葉があります。

エゼキエル書16:63です。「こうしてお前がおこなったすべてのことについて、わたしがお前を赦すとき、お前は自分のしたことを恥じ、自分の不名誉のゆえに、二度と口を開くことはできなくなる」

今は、黙り続けるイエス様の前に、罪人は言いたい放題です。

でも、苦難の僕イエスは、その罪人たちの愚かさをすべて背負って、それが赦されるようにと、十字架で死んでくださいます。

その十字架の真実を悟るときには、もはや誰一人として、「二度と口を開けなく」なります。

自分の愚かさを恥じるがゆえに。そして、その自分を覆いつくす、圧倒的な十字架の愛に打ちのめされて、もう何も言えなくなるのです。


共に祈りましょう。

主よ、十字架の御苦しみを覚えるこの受難週。どうか私たち一人一人が、その十字架の真実をもっと深く悟ることができますように。そして、私たちの人格に変化が与えられますように。
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